認知症患者への対応
- 「何も分からなくなる」という特別なイメージがあるが、心の部分は残っている。ケアの仕方でその人らしさを保てる。何も分からない訳ではないし、本能が残っているので好きな職員、好きじゃない職員が分かる。(第8回)
- 感受性が豊かになり、見たことのある職員と、見たことがない職員は分かっている。全部心を読まれている。認知症の人は心が敏感なので、こちらの考えは全て見抜かれている。(第8回)
- 認知症患者が50人入院している病棟に勤めたことがあるが、その病棟では認知症高齢者が勝手に外出しないよう全ての部屋にカギが掛かっており、高齢者が口に入れないようにトイレットペーパーも置いておらず、違和感を感じた。(第12回)
- 若年性認知症に接した。スーツ姿で60歳前半の男性が事業所を訪れ、「ここを使いたい」と言う。一度は断ったが、午後にも再訪した。最終的に帰って貰ったが、別の事業所に転職すると、認知症の進んだ男性と再会した。不安を感じて残る力で来たのに、気付けなかった。(第11回)
- うつ病を併発した認知症患者が自殺を図るケースも多い。事業所で夜勤していた時、ベランダから足を掛けて飛び降りようとしている患者を見掛けたほか、ナースコールが鳴るので病室に行くと、認知症患者がベッド柵にタオルを引っ掛けていた。(第12回)
- 認知症患者の嫌いな職員が食事を持って行くと、「毒が入っているから食べない」と警戒する人もいる。(第12回)
- 「ご飯を食べたと思うけど、本当に食べましたっけ?」といった形で物忘れが始まっていることに気付き始め、初期は不安が先立つ。規則正しい時間で仕事した人の場合、認知症になって上手くいかないことに苛立ち、周囲に暴力を振るってしまう人もいる。(第12回)
- 「話せなくなる」「脳の神経がなくなってしまい、嚥下反射が起きず、ご飯が食べられなくなる」「脳が委縮して運動機能がなくなり、座れなくなって寝たきりになる方もいる」といった認知症患者と出会った。(第12回)
- 古い記憶が鮮明に残っているため、女性が旧姓で名乗る時がある。80歳代の方が「50歳代」と言ったかと思えば、別の時には「20歳」と名乗るなど、その時々の状況によって、リアクションも変わる。(第12回)
- 100人認知症患者がいたら症状が100人違う。(第12回)
- 問題行動と言っても、鍵を閉めてしまうと、認知症患者が「閉じ込められた」と判断し、「何で出られないか?」と訴えるため、新たな問題行動に出てしまう。しかし、当然の訴えだ。(第12回)
- 「近所の方に知られたくない」という家族もいるので、名前の入った車で来ないよう依頼が来る時もある。(第12回)
- 誰が聞くか、どんな雰囲気で聞くかによって点数が違う。いつも慣れている職員が落ち着いた環境の中で聞くと20点だけど、初めて会った医者が白衣を着て緊張した状態で聞くと、点数が変わる。その人を理解して心に寄り添ったケアを探って行かないといけない。(第12回)
- 認知症患者の行動や言動を馬鹿にすると、必ず感じ取る。「大事にしてくれる人」「大事にしてくれない人」が分かる。「あなたは好きじゃない。私のことを一生懸命やっているから好きだけど、あなたは好きじゃないでしょう。だから私も嫌いよ」と直接言う認知症患者も少なくない。(第12回)
- 食事介助の際、頑として口を空けず、1カ月ぐらいで顔を覚えて貰うと、スムーズに食事を摂って貰えた。しかし、新しい職員が入ると同じことが起きるため、慣れている職員に交代するが、次回もやらないというわけではなく、顔を覚えて貰うために5分でも10分でも何度もやる。(第12回)
- 問題行動だったとしても、本人にとっては「家に帰りたい」などの目的がある。徘徊する認知症高齢者と一緒に何時間も歩いた所で高齢者の気持ちに変化が表れて、「日も暮れて来たし、家に帰ろうかな…」と言い始めたため、事業所から車で迎えに来て貰って一緒に乗って帰った。(第12回)
- ヘルパーとして一緒に高齢者と外に出ると、「おばあちゃんは元気だったのに…」と言われて、本人は自分が悪く言われていることに気付く。だから余り知られたくないようにしたいという思いもある。(第12回)
- 一人暮らしの高齢者の場合、周囲が気付く機会が少ないため、料理の火を付け放しにしたり、ごみが何年分を溜まったりしていることで判明する。(第12回)
- 家族と一緒の人でも気付くのが遅れる時がある。久しぶりに会った親戚の指摘で病院に行くと、認知症であることが分かる。精密検査を実施し、専門医から診断された後でも、活躍していた頃を知る家族は「年齢に伴う症状じゃないか。うちは違う」と認めたがらない。(第12回)
- 認知症と一緒に精神疾患を持っている人の場合、対応を分けなければならない。(第12回)
- 認知症患者に対する考え方は変わった。以前の要介護認定では身体介護を要する人が高くなったが、ケアマネジャーを勤めていた頃、杖なしで歩けて一人で食事を作ることができる高齢者でも認知症であることが考慮されて要介護度4になった。制度の方も少しづつ動いている。(第12回)
- 認知症は基本的に治らないが、症状の進行を遅らせることはできるし、問題行動を抑えることはできる。利用者から見れば医療、介護の区分は余り関係ない。治療アプローチ、生活支援のアプローチが2つある。(第23回)
- 認知症への名称変更によって、「治らないけど、早目に受診して問題行動を和らげることが可能」という理解が進んだ。昔は精神病院に入れる絡み方だったが、ケアと連携する形が高まっている。(第23回)
- 認知症を理解している専門医者はいない。ヘルパーや看護師が認知症である可能性を感じた場合でも医者は全然分からない。社会全体で認識して行くには、認知症を分かる医者を増やさないと難しい。(第23回)
- 徘徊や暴言などの問題行動で施設にお願いすると言っても、施設が足りない。ショートステイも東京を中心に入れない。(第23回)
- 一人暮らしの認知症をサービスに繋いで行くのかが課題。本人が「使いたい」と言わないと、サービスを使えない。サービスを使わなければならない人が介護保険に行かない。(第23回)
- 日本の認知症ケアは外国も参考になる高レベル。一方、底辺は悲惨。医者は診察時の一時点で見ているので、認知症と認めるのは難しい。どの水準を政策の基準にするのかが必要。(第23回)
- 認知症ケアが一番苦手だった。認知症の利用者は言っていることが目茶苦茶だけど、時々真っ当なことを言う。私の発言を間違って覚えているけど、時々は当たっている。(第25回)
- 一人暮らしの認知症患者から「来るな」と言われたり、セールスマンに間違えられたりした。要介護度5だけど身体的には歩ける人の部屋が排泄物だらけだった。(第25回)
- ヘルパーを週3日派遣して貰っている独居の認知症高齢者と接した。認知症が軽い人は何とか細々とやって行けるけど、重い人は火の不始末で火事になる。施設入居を考えても、100人待ちという状況。(第25回)
- 「老老介護」「認認介護」は一般的に女性が男性をケアすることが多い。女性の方が寿命が長いし、結婚する年齢も男性の方が上。有配偶者の少ない比率は女性の方が高い。男性の方が介護を心配せずに済む。(第23回)
- 一生懸命やっているけど罵倒される、名前を忘れちゃう。家族が切なくなって来る。認知症の家族を虐待し、介護殺人になる時もある。早い段階で社会的なケアが入ればいいのだが、家にこもられると大変。(第23回)
- 若年性認知症を一般的な病気として早期受診、早期診断を薦め、専門医が告知するケースも多い。クリスティーン・ブライデンという豪州人が2004年に日本で講演活動したのを契機に、世間の理解が進んだ。(第23回)
- それまでの医者の定義は「自分のことを認知症だと言っている人は認知症ではない」という定義。最近は早期のうちに診断、告知して、認知症と分かりながら生活する流れがある。(第23回)
- 認知症かどうか不安になって、メモをいっぱい書いている人もいる。「私は認知症じゃないから、まだまだ」という人が認知症。認知症の問題意識を持っている人は支援しやすい。(第23回)
- 家族には「状況を見せたくない」という不安から、サービスを使わない傾向があり、夫婦間の介護に終始する。段々と入浴介護が困難になって来ると介護保険を使うが、熱心な人ほど「私がやる」という感じ。(第23回)
- 入浴などの支援は使っているが、「まだ夫婦でできるし…」と判断して付加的なサービスを使っていない。2人で一緒にいると憎らしい部分しか見えて来ないけど、介護保険を使ってたまに離れると視野が開ける。(第23回)
- 若年性だろうが、高齢者だろうが、認知症患者は介護保険の適用を受ける。デイサービスに行っても、70~80歳代だけど、自分だけ50代なんで世代間ギャップはある。(第23回)
- 若年性の場合、どうやって会社を辞めるまで繋ぐのか。デイサービスで暫くいても重度になって家族と過ごせなくなり、何処か施設を探すことになる。(第23回)
- 以前の姿から外れることに対するショックや切なさがある。家族が関わっても良いが、ありのまま変わった姿を受け入れて行く宅老所など新たな認知症ケアの方向性があり、普遍的なものとして出来ればいい。(第23回)
- 何らかの形で生活が困難になり、それ以前から家族が変と思っていたから受診する。身体的な疾患と違う。認知症であることが判明すると、家族は「やっぱりか」「そうか…」といった形で追認することが多い。(第24回)
- 若年性認知症は治ると思っている。「薬を飲んで進行を止めるしかありません」と言わると、ショックを受ける。しかし、家族は認知症と思って病院に連れて行く。70~80代だったら「やっぱりか」と思う。(第24回)
- 介護保険制度が始まった後、寝たきり中心で考えていたサービスを地域包括ケアで考えようということになり、食事介助のイメージからコミニケーションや居場所を作る所に来た。(第24回)
- 「役所から手紙が来ても、机の上に放置している高齢者」「服薬管理ができず、薬をほったらかしにしている高齢者」に接した。専門医がいないので薬を出しても、服薬管理ができない。(第24回)
- 文化・制度的に医者が介入しやすい。画像診断など大学病院の専門医が注目されるが、むしろ重要なのは医師の前だけシャッキとしていることを見抜く地域のかかり付け医の専門性が重要。(第24回)
- 認知症の方は要介護認定の調査でもシャッキとする。健常者がフォーマルな時、キチンとするのと同じ。慣れていない調査員は言われたままマルを付けて要介護度が軽くなる。(第24回)
- 昔は「寝たきりで特別な精神症状を持つ人」という位置付けだったが、高齢者の多くが認知症になって行く。「認知症のことを研究している」と言っても、10年前と受け止め方が違う。(第24回)
- 以前はアルツハイマーになると平均余命は7年と言われていたが、施設に入所すると2~3年延びる。10年ぐらい変わらず生活している人も見られる反面、症状が進行した人は飲み込むことすら忘れてしまう。(第42回)
- 近年は40歳~60歳代の若年性認知症も増えており、50歳代の認知症が利用している。若年性は不安を抱えて「おかしいな」と思う人が多い。欝傾向が多く出るが、実際に欝病なのか、認知症に由来する欝なのか、症状は分かりにくい。(第42回)
- 認知症があると、自分で判断することが難しくなる。行動障害と呼ばれる行動をコントロールできない。誰が個人の尊厳を代替するのかが認知症ケアの課題。(第42回)
- 認知症になる疾患は脳血管性疾患やアルツハイマーなどがあり、約60%がアルツハイマー。高血圧、脳梗塞の後遺症で脳細胞が死滅すると認知症になる。アルツハイマーと脳血管性症状のミックス型が増えている。生活習慣の変化もあるかもしれない。血管のメンテナンスが非常に重要。(第42回)
- 認知症に至る最初の疾患次第では治る認知症もある。早期受診がポイント。アリセプトなど認知症を進めないための薬が出ているが、直すのではなく認知症ケアの基本は今の状態の維持。(第42回)
- 薬で対応できない場合、私達が環境を支援する。住み慣れた環境が有効。色々なことができなくなってしまうが、しっかり感情は担保される。残っている五感の幾つかを活性化させて、住み慣れた環境で心地良く生活して頂くことができる。(第42回)
- 認知症になった高齢者は自宅にいるのに「家に帰りたい」と望んだり、外に出て行ったりしまう時がある。「あなたのお家でしょ」と言っても、「私の家は違うのよ」と言う。その人の立場に立って考えた時、生まれた家に帰りたいのかもしれないし、新婚時代を暮らした家かもしれない。(第42回)
- 自分の家にいるのに外に出て行ってしまうのは、おしっこに行きたいのを我慢しているかもしれないし、お腹が空いているのかもしれないし、疲れているかもしれない。(第42回)
- 認知症患者は発する言葉と本当に望んでいることが乖離している。真のニーズと直接要求のギャップがあることを認識した上でケアしないと、真のニーズを想像できない。その人の過ごしてきた社会背景、生活暦を知ることが必要。(第42回)
- 最初から認知症というわけではない。認知症になっているからこそ、本人の尊厳をしっかりと周りが考えないと大切なこと。(第42回)
- 本当だったらプライバシーを保って欲しいから個室にしたいけど、死角がいっぱいあるのでケアしづらいから、介護側に都合の良い論理として「広い部屋に10人入れちゃって見る方が楽」というのではなく、しっかりと相手の立場に立ったケアを私達がやらなくてはいけない。(第42回)
- 個別ケアの標準化に向けて、「気づいちゃったシート」「気づき分析シート」を作成した。(第42回)
- 前者は「Aさんが園芸の時間で、立ち上がった。その先にミニトマトの実が成っていた」「ピアノ演奏の時、Bさんは後から来るけど、今日は音が鳴った途端に部屋から出た」といった形で、職員が気付いたことを時間、場所とともに記入し、情報共有を促す。(第42回)
- 前者は認知症ケアを進める上で、観察力を促進する。職員に訓練、観察力を向上させて欲しい。「あの歌を歌ったらニコニコした」などの気付いたことを情報共有する。(第42回)
- シートの中身を生活にフィードバックするのが課題。それを分析する問題意識で、気づき分析シートを作成。気づいちゃったシートの中身をケアマネージャーの段階で分析する。リスクマネジメントはネガティブな発想。これはポジティブで、出来ることを探す。(第42回)
- 利用者が笑った時、「笑ったのは何故か?」を分析シートに落とし込むことで、次も笑顔を出して貰えるよう同じようなシチュエーションを試す。(第42回)
- 導入当初は「誰が書くんだ」「そんな時間はない」といった形で職員から悲鳴が上がり、必ずしも上手く行かなかったらしいが、地道な作業を通じて定着しつつある。うちでトライアルしているので、皆さんに周知して広めて行きたいと思っている。(第42回)
- シートを作成したのはエビデンス(証拠)に基づくケアが重要と認識したため。認知症ケアに共通の処方箋がない。(第42回)
- スタッフは20~30人でシフト勤務。個別ケアを提供する人は多いので、個別ケアを標準化しなければならない。ヘルパーの手法次第でやり方が全部違うと、利用者によって一番良いケアかと言うとそうではない。常にトライアル。考え続けることが大事。(第42回)
- 本人の有する能力を見付けることは大事。自分で見付けられないことも多いので、本人もできることに気が付くとか、自然と持っている力を高めることが新しいパーソン・センター・ド・ケア(本人中心のケア)になる。(第42回)
- 「認知症指導者」は認知症ケアを実践している人達を認定する仕組み。認知症になっても住み慣れた町で過ごせるような啓蒙の目的に加えて、各地域のリーダー的な人材育成などを担っている。(第42回)
- 認知症指導者の研修センターが立地しているのは東京、仙台、愛知県大府市の3カ所。このほか、「認知症ケア専門士」など民間の資格も存在する。(第42回)
- 認知症指導者は「地獄の研修」を終えないと、名乗れない。結構厳しかった。2カ月半ぐらいの研修で、6週間ぐらい泊まり込み。制度がスタートして10年ぐらい。当時は自治体の推薦がないと研修に行けなかった。東京都の場合、推薦を受けるにはリポートを出したり、面接したりする。(第42回)
- 介護業界に入り、「認知症の特効薬が何もない」「症状を軽減させることはあっても治らない」「今は環境整備しかない」と聞いた時、介護経験の少ない人でも入り込む余地があるのかな、何ができるのかなと思った。(第42回)
- 若年性は世の中の認知度が足りない。啓蒙に向けたアクションを起こしていかなければならない。(第42回)
- 家族は親族が認知症であることを認めたくない。一般的に認知症は怖いという意識。しかし、認知症なんだと思うことで認知症を知ることができる。「認知症は治らないけど、こういう対応をすれば上手く過ごして行けるかもしれない」と思うし、やれることはある。(第42回)
- 認知症になってしまった人が独居だったら、自分の健康管理ができない。「何処かおかしいから医者に行った方がいいんじゃないか」と言われて病院に行っても病歴が分からない。認知症であればあるほど、医療情報が既往歴や病歴をしっかりと把握できていないと困る。(第42回)
- 主治医の意見書には既往現在の病歴に「なし」と書かれているのに、介護施設の情報には病歴が記入されているなどの例は少なくなく、情報が分断されている。(第42回)
- 「認知症だから訳分かんないだ」という考え方じゃなく、認知症だからこそどういう風にアプローチしたらいいのかを考えることが必要。性格、生活歴、生い立ちを知ることが大切。(第42回)
- 病歴などに関する情報は個人の所有物。受診した病院ではなく、個人で持っているのが筋。母子健康手帳みたいな形で情報をしっかり持っていれば、認知症になっても安心で、抜本的に考えないとまずい。情報技術も使ってシームレスな連携を取るべきだ。(第42回)
- 利用者の生活歴や人生経験を踏まえたケアに加え、看取りケアも2年前から実施している。利用者のニーズに応じて旅行も実現したほか、入浴・移乗などについて勉強会を開催し、機械を使った入浴を廃止するとともに、全体会議を通じて意思疎通や問題意識の共有に努めている。(第43回)
終末期を含めたケアの充実
- 3年ぐらい前からターミナルケアができるようになり、息を引き取る場面や葬儀までやらせて頂いている。施設はキリスト教なので、外で葬儀をやる人は正面玄関で賛美歌でお祈りして見送る。まさしく旅立たれる感じで送り出す。そういった理念と実践が噛み合ったのがここ最近。(第44回)
- ターミナルケアは家族から見ると必要。家族で見るには限界があるので、そのため介護職がいる。社会として死に向かい合っていない気がする。もっと家族に見せることは必要。情報が少ない。(第44回)
- 施設は駅から近く、地域の人が優先的に入るので、毎日のように来る家族も多い。そういう中で家族と関係を築いて、最期はどうするかを議論できる。3年前に始めた時は大変だったが、家族同士の口コミで安心して頂いている。(第44回)
- 家族としてもできることはやりましょうという機運が生まれている。家族とリスクを共有できる関係が形成されつつあるので、他界する1週間前、埼玉県秩父方面に旅行する時もあった。(第44回)
- 元の風呂場を「祈りの部屋」と名付けた特別な居室に改造した。1人で寝られるし、家族も一緒に泊まれる。看取りに限定するわけじゃないが、家族も一緒にケアして頂き、家族もチームの一員であることを示す部屋もできた。(第44回)
- 家族が毎日来れば、状態が悪化して行く姿を目の当たりにする。終末期の判断で揺れる人は多い。病院で手厚くしたいという人もいるのは当然。それはそれで尊重する。私達はこう思っていると何度も話して、大体頷いている方が多くなって来た。(第44回)
- 初めは職員が不安だったが、今は「やらなくていいのか」と思う。今になっては自然。最初は「もっと勉強しなきゃいけない。始めるのを後にしたらいいんじゃないか」と言う人もいた。利用者は看取りを経験して命を使って私達にメッセージを残してくれたのが繋がっている。(第44回)
- ターミナルケアが絶対の正解とは思わない。死生観は人それぞれできるだけ最後まで一緒にいたい。利用者や家族との関係が重要。関係が遠いほど、訴訟など良くない方向に行くので、関係を作りたい。義務的にやってしまうと、訳のわからない方向に行く。(第44回)
- どうしても機械浴がいいという人はそうしたらいい。「個浴に移れば何でもいいんでしょ」というわけではない。利用者と話したり、触れ合ったりすると本来の姿から離れる。形式だけじゃなく裏にあるプロセスや理由の方が大事。(第44回)
- ターミナルケアや風呂の改革など全てが繋がっている。ターミナルケアだけでなく、日頃が大事。日頃から自分らしい風呂。トイレも自分のできるだけ希望に沿って…という形で全てが繋がっている、全部がボンと変わったわけじゃなく、少しずつ自分達の目指すところが見えて来た。(第44回)
- 福祉やボランティの世界は支援の受け手と同じマークを出さなきゃいけない。(第45回)
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