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【書評】柳澤協二『検証官邸のイラク戦争 ―元防衛官僚による批判と自省』(岩波書店、2013年)

July 3, 2013

評者:細谷雄一(慶應義塾大学法学部教授)


本書の著者、柳澤協二氏は、防衛審議官や運用局長、防衛長官官房長、内閣官房副長官補などといった政府の中枢を歩んできた防衛官僚である。その著者は本書で、アメリカが始めたイラク戦争やそれへの小泉純一郎首相の支持を批判的に回顧している。著者によれば「イラク戦争は、世界の価値観を揺るがす大きな出来事だった。」しかしながら、「官僚としての仕事はそれを所与の前提として受け入れた上で、日米同盟を強化し、自衛隊を国際的に活用するための政策を立案、実行することだった」という。「日々多くの課題を抱えた官僚の立場では、自分の仕事の根本的な異議や価値観を問い直す余裕はなかった」からだ。
著者にとっての最初の転機は、2002年8月から04年3月まで、防衛庁防衛研究所所長の職に就いたことであった。それまでは「日々多くの課題を抱えた官僚の立場」として、ゆっくりとこの問題を考える時間がなかったのであろう。2003年3月のイラク戦争開戦当時、防衛研究所長の立場で柳澤氏はその正当性について安全保障専門家と意見交換をして、自らの思索を深めていった。とりわけ、防研内部で主任研究官だった植木(川勝)千可子氏(現在、早稲田大学大学院教授)がイラク戦争への反対論を率直に語ったことに、柳澤氏は大きな影響を受けたようである。後に当時を振り返って、『脱・同盟時代』のなかで植木氏はそのような自らの心情を率直に語っている。そのような植木氏のイラク戦争批判に共鳴し、本書『検証官邸のイラク戦争』のなかで柳澤氏は、イラク戦争開戦の正当性や、それを十分な考慮なく支持した小泉首相の政治姿勢を疑う自らの立場を明らかにしている。「それらを所与の前提として受け入れた」というかつての官僚としての立場とは大きく異なる、退官後の大きな軌道修正といえる。インタビュー形式の『脱・同盟時代』よりも反米的な色彩は薄まっているが、全体としてアメリカの戦争行動への批判的な視点や、日米同盟を最優先する日本の防衛政策への疑念が、全体を貫く通奏低音となっている。
以下簡単に、各章の概要を紹介したい。

序章では、「現代における戦争とは何か」と題して、イラク戦争の必要性(necessity)、合法性(legality)、正当性(legitimacy)、そしてその帰結について論じている。基本的には、イラク戦争が「無駄な戦争」であったという視点から、アメリカがその戦争を始めたことを批判する。また、「無駄な戦争を克服するためには、政策プロセスの中で、戦争という選択肢を幾重にもチェックする制度と精神文化を作る以外にない」と述べて、「事後検証」の重要性を指摘する。本書もまた、そのような「事後検証」の一環に位置づけているのだろう。そして、イラク戦争の帰結について、いくつもの問題点を指摘した上で、「これだけの結果を見て、それでも戦争が成功だったと言える人間はいない」という。

第1章「アメリカはなぜ戦争を選択したのか」では、冷戦終結後の国際情勢を巨視的に概観した上で、9・11テロ後の「時代精神」が戦争を作っていったと述べている。すなわち、著者の言葉を用いれば、「この戦争はブッシュ大統領にとっては、テロリズムという暴力を肯定するイデオロギーに対して、自由のイデオロギーを広めるための『許される暴力』、すなわち『聖戦』だった」という。全体的に、アメリカの戦争行動への批判的な色彩が強く、文章はそれへの疑念で満ちている。他方でそれが当時の「時代精神」であったと振り返り、アメリカの社会全体がブッシュ大統領を戦争に駆り立てたという点もまた指摘している。

第2章「戦争の正当化と『国益』の定義 ―防衛研究所での模索」では、すでに少し触れたように、著者が防衛研究所所長であった2002年から04年までの時期に、イラク戦争の正当性をめぐって防研内で思索し検討した様子が描かれている。防衛研究所所長として内外の安全保障専門家とイラクへの武力攻撃をめぐり意見交換行って、日本のあるべき立場を検討した著者の結論は、「イラク戦争への態度として、当時自民党の一部で言われていたような『理解』ではなく明確な『支持』でなければならない」ということであった。その結果、防研のHP上の「NIDSニュース」2003年2月号に、「それでもアメリカを支持すべき3つの理由と3つのリスク」と題するエッセイを著者は掲載した。著者は「いま読み返せば、お世辞にも出来の良いエッセイではない」というが、それは「イラク問題を、戦争か平和か(戦争は是か非か)という観点ではなく、大量破壊兵器を確実に廃棄する方法としてだというかどうかという観点でとらえるべきだ」という、「一種の論点のすり替えのうえに成り立っている議論であるからだと思う」と述べている。著者の議論は、「当時の日本政府や安全保障専門家の『空気』と一致している」ものであった。また「湾岸のトラウマ」もまた、著者がそのような結論に至った理由の1つであった。

第3章「日本はなぜ戦争を支持したのか -小泉総理の決断」では、当時首相であった小泉純一郎氏個人に焦点を当てて、イラク戦争支持へ至る日本政府の論理を批判的に回顧している。著者は次のように語る。「イラク戦争の支持に関して、官僚が『支持』を『誘導』した形跡はない。官僚は、最後の判断を総理に委ねていた。同時に、『総理が決断すれば、いかなる決断であれ、それを支える』という決意を固めていた。そして総理は、いつの時点かは別として、『アメリカがやる以上、支持する』と決めていた。これが、私の考えるイラク戦争支持の意志決定プロセスである。」このように、イラク戦争支持の決断は、小泉首相の政治主導で決められた。またそれは、当時の「空気」であって、「時代精神」であったという。

第4章「同盟の選択と揺らぐ大義」では、イラク戦争を超えて、日本外交の根柢に潜む、日米同盟をつねに選択する外交路線への疑念が示されている。著者によれば、「『日米同盟と国際協調の両立』を訴えてきた日本政府は、イラク開戦という『両立』が図れない事態を迎え、『同盟を選択』したのである」。著者は、国際法上の合法性上の疑念や、国内世論の批判にも拘わらず、「同盟を選択」する政府の方針に疑問を示す。しかしそのような論理の上で、日本政府はイラクへの自衛隊派遣へと向かった。

第5章「『ブーツ・オン・ザ・グランウンド』 ―自衛隊、サマーワへ」では、2004年4月以降に内閣官房副長官補に着任して、官邸の中で防衛政策を担当する立場となり陸上自衛隊イラク派遣に関与した著者が、その経緯を詳細に論じている。政権の中枢で、どのように政策が決定され、どのように自衛隊派遣が実行されていったのかが、具体的に叙述されている。イラク戦争そのものには批判的な立場をとる著者も、「サマーワへ派遣された自衛隊の任務が成功だったかどうかと言えば、私は、迷わず成功だったと考えている」という。その理由は、「自衛隊が一発の弾も撃たずに、一人の犠牲者も出さずに任務を終えたこと」だ。概して著者は、自らが責任をもって担当したイラクへの自衛隊派遣については、肯定的な評価を行っている。他方で自衛隊が、「『国益』のためではなく、『アメリカとのお付き合い』のために派遣されていたこと」については、疑念を示している。

第6章「イラク戦争の余波の中で」では、著者が内閣官房副長官補として在任中に取り組んだ、イラク問題以外の重要なイシューが論じられている。この間、防衛大綱見直しや、安保理常任理事国入りへの取り組み、日本版NSC設立をめぐる提言、集団的自衛権の解釈変更へ向けた安保法制懇、インド洋給油継続問題など、安全保障問題に関係する多くの重要な問題が官邸で検討されていた。その政策決定の中枢に位置していた立場を回顧して、それぞれの問題への著者の見解が述べられている。
終章「新たな戦略思想を求めて」では、冷戦終結から民主党政権成立に至るまでの期間の、とりわけ9・11テロ以降の時期の著者の経験に基づいて、日本が今後検討すべき戦略思想が語られている。とりわけ、その中心を占めるのが、アメリカとの同盟関係である。それを著者は「倒錯の同盟」と呼び、「イラク戦争支持を決断した最大の動機が日米同盟の維持であり、そのこと自体で政策目的を達成してしまった」ことに批判的である。そして、著者の述べる「戦略思想」が、終章の最後の一文で、端的に示されている。すなわち、「日米同盟だけに頼らない戦略的思考軸と、その前提となる日本の国家像が必要な所以である。」
さて、本書を概観したが、本書全体を貫く問題意識は、まさにアメリカとの同盟関係を再検討することである。イラク戦争支持の政府の姿勢は「アメリカとのお付き合い」として論じられ、またイラク戦争は「無駄な戦争」であったと簡潔に述べられる。そのような問題意識は、自らの防衛官僚としての経験への反省へと向かう。「おわりに」で述べられているように、その反省は、「悩むべきことを悩んでいなかった」ことによる。悩むべきは、日本のアイデンティティを根源から問い直すことであった。つまり、本来選ぶべきは、「平和を国威よりも優先する価値観とし、戦争を否定することによって『国際社会において名誉ある地位を占め』ようとした日本」であった。他方で、実際に日本が選んだ道は、「戦後の平和国家としての自己認知を否定し、アメリカと軍事リスクを共有することによって国威を高め、国際社会における『名誉ある地位』を目指す日本」であった。

著者は、「平和国家」を「無駄な戦争」と対置させ、「国際社会における名誉ある地位」を「アメリカとのお付き合い」と対置させる。それは、戦後日本の外交思想に見られた、一般的な平和主義的な理念といえるだろう。おそらくは、イラク戦争支持という政府の決断に部分的に自らも荷担し、また陸上自衛隊のイラク派遣の責任者となった自らの役割を回顧し、それを反省することで今後日本がよりよい道を歩んで欲しいという願いからの主張であろう。また、政府の責任ある地位から離れて、自由な立場となったことからも、以前から感じていた問題意識を率直に語ったのが本書であったのだろう。著者の主張はときに、誠実すぎるほど誠実であり、また率直すぎるほど率直である。後の時代から自らの行動を正当化するというよりも、むしろ率直に当時を振り返って、「悩むべきことを悩んでいなかった」ことを悔やみ、反省すべき点を模索する。イラク戦争支持へ至る過程でのいくつかの問題を、本書は明瞭に示してくれる。
また、小泉政権から麻生政権までの日本の防衛政策を考えうる上で、本書は一級の回顧録として当時の官邸の中での政策決定の様子を克明に描いている。官房副長官補という、官邸での防衛政策を動かす要職に就いていた視座から、どのようにアメリカとの同盟関係を強化しようとして、どのようにイラクへの陸自駐留を考えていたのか、それを詳細に伝えている。また、小泉首相がどのように決断を行っていたかを理解するうえでも、興味深い記述が多く見られる。この時代の日本の防衛政策を考える研究者にとって、必読文献となるであろう。
ただ、一部の読者は本書の著者の立場に、多少違和感を抱くかもしれない。すなわち、「時代精神」や「空気」に抗して、より良い選択肢を首相に提言することはある程度は可能であったと考えられるからだ。「日々多くの課題を抱えた官僚の立場では、自分の仕事の根本的な異議や価値観を問い直す余裕はなかった」というのも理解できるが、歴史を振り返っても政治指導者が誤った決断をしようとした際に、正しい方向へと導くよう努力をして、一定程度それに成功する官僚も少なくない。たとえ、「官僚は、最後の判断を総理に委ねていた」というのが現実であるとしても、総理がその「最後の判断」に至るまでの段階で、よりていねいな説明を示し、総理がより広い視野から決断を行えるように努力することもできたのではないか。他方で、当時、首相官邸にいて多くの制約の中で政策決定を行わなければならなかったことを前提にするならば、現在の日本の対外戦略を白紙の上から批判することにも、もう少し慎重であるべきであろう。
しかしながら、著者の葛藤や反省は、これまでの日本の対外戦略のなかであまりにも多くのことが自明となっていたことを考えるならば、きわめて高い価値を持つものであろう。おそらく、日本の対外戦略は、政府は通常考える以上に多くの選択肢を有しており、多くの可能性が含まれている。それに盲目的となることは、自ずと日本の国益を損ねることに繋がりかねない。著者が述べるほど、日本の対外戦略が制約から自由で、日米同盟から自律的に行いえるとは評者は考えないが、著者が述べるようにこれまでの来歴を回顧してより幅広い可能性を検討することには同感である。本書が契機となり、今後より自律的で、より戦略的で、より幅広い視野から日本の防衛政策が検討されることを期待したい。

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