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【書評】ケント・E・カルダー『ワシントンの中のアジア』ライシャワー東アジア研究センター監修・監訳(中央公論新社、2014年)

February 2, 2015

評者: 細谷雄一 (東京財団上席研究員/慶應義塾大学法学部教授)

1.はじめに

本書は、アメリカで最も信頼されている日本政治研究者の一人であるケント・カルダー教授が、グローバル・シティとなったワシントンでの都市政治について、アジア諸国の動向を中心に記したものである。日米同盟が安全保障領域に限定される傾向があり、また日本政府がニューヨークばかりに関心を集中させる中で、ワシントンでの日本の影響力が急激に衰退していることに著者は警鐘を鳴らしている。
ケント・カルダー教授は、ハーバード大学大学院で、ケネディ政権での駐米大使を務めた碩学エドウィン・ライシャワー教授の薫陶を受け、その後長らくプリンストン大学で教鞭を執った。クリントン政権二期目には、東京のアメリカ大使館で駐日アメリカ大使特別補佐官を務め、2003年からはワシントンDCのジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)でライシャワー東アジア研究センターの所長を務めている。その著書の多くは邦訳されており、『自民党長期政権の研究 ―危機と補助金』(文藝春秋社、1989年)では大平正芳賞を、『アジア危機の構図 ―エネルギー・安全保障問題の死角』(日本経済新聞社、1996年)ではアジア・太平洋賞を受賞している。その専門は、自民党研究、日本の政治経済分析、東アジア国際政治、日米同盟と多岐にわたっており、アメリカにおける日本政治研究の発展にこれまで多大な貢献をなしてきた。

2.危機の中の日米関係

そのカルダー教授の最近の研究では、日米同盟の将来に対する切実な危機感が二つの側面からにじみ出ている。第一に、その著書『日米同盟の静かなる危機』(ウェッジ、2008年)で論じているように、日米同盟があまりにも軍事的側面ばかりを強調するあまり、幅広い民間レベルの交流などがおろそかになっていることが十分認識されずに、日米同盟が将来空洞化する可能性への危機感である。そして第二に、本書で見られるとおり、中国や韓国、そして東南アジア諸国のプレゼンスがワシントンDCで急速に強まっていく一方で、日本のプレゼンスが埋没してしまっていることへの危機感である。
そのような危機感を背景に、日本人に対して警鐘を鳴らす意味も込めて、本書の『ワシントンの中のアジア』(中央公論新社、2014年)では日本人が今後よりいっそう、ワシントンDCのグローバル政治都市としての重要性を認識し、そこでの日本のプレゼンスを示していく必要が論じられている。それはまた、これまで幅広い視点から日米関係を政治学的に研究してきたカルダー教授の矜持でもあるのであろう。

3.本書の概要

それでは、本書の概要について見ていこう。
まず冒頭の「日本語版への序文」では、ワシントンにおける日本のプレゼンスの埋没について触れている。すなわち「ここ五年ほど、中国と韓国はワシントンで非常に活発に活動し、一方の日本は国内政治の混乱による対立に明け暮れていた」(4頁)のだ。カルダー教授は、そのような日本の影響力の衰退を多くの日本人が十分に認識していないことに、焦燥感を抱いているかのようである。それゆえ、次のように記している。「日本人はワシントンにおける自国の地位が、いかに急速に衰退しているか気づいていない。日本は世界の超大国の首都で自国の権益を代表する事務所を閉鎖し、その予算を削減しているが、それはライバル中国、韓国の急速なプレゼンスの拡大と全く対照的である。さらに言えば、日本人は民族政治のような、他国との深刻でデリケートな争いの特質を理解していない。」(5頁)
カルダー教授は、日本があまりにも政府間関係ばかりを注視するあまり、それ以外の重要なアクターへの留意が十分でないことを指摘する。現代の国際関係においては、多様な人的なネットワークが不可欠だからだ。それゆえ、カルダー教授は次のように指摘する。「ほぼ半世紀にわたり、さまざまなアングルからワシントンを見てきて、私がついに認識したことがある。それは、『森の中の木を見る』ことから始める必要があるということだ。つまり米政府だけではなく、法律事務所、大学、シンクタンク、メディア、多国籍機関などで働くここの意思決定者に注目せよ、ということである。そして、米国の首都がいかに機能するかを把握するためには、こうした全ての機関と結びついた人的ネットワーク、彼らが形成する様々な社会コミュニティを理解しなくてはいけない。同様に、ワシントンの変化のペースが急激で、微細でわかりにくいこともまた認識しておかなくてはならない。」(7頁)
カルダー教授によれば、このような「森の中の木」によって、「権力の半影(penumbra)」がつくられている。これはいわば「広いクモの巣のようなもの」であり、そこに対して日本はよりいっそうの働きかけをせねばならないのだ。
序章では、「新しいパラダイム」として、グローバル政治都市としてのワシントンの重要性が指摘されている。これまでの国際政治学はあまりにも主権国家ばかりに注意を払ってきて、「グローバル政治都市」についての理解が不十分であった。「グローバル政治都市」とは、次のような五つの機能を持つ都市である。それは、「アメリカの首都」、「国際機関」、「NGO」、「シンクタンク」、「アジェンダ・セッティング」の五つである。このような五つの機能を持つワシントンは、世界政治の中心舞台となっており、圧倒的な重要性を有している。それゆえに、各国ともにこのワシントンDCでの自らの影響力を拡大しようと、多様な取り組みを続けているのだ。
第一章「グローバルな政治都市とは」では、なぜ今グローバル政治都市としてワシントンDCを論じる必要があるのかについて、その重要性の要因を説明している。「グローバル政治都市」であるために、次の三つの要素を擁していなければならない。それは、「政策ハブ」であることであり、「外交政策コミュニティ」が存在することであり、また「戦略的情報複合体」が存在することである。とりわけ「戦略的情報複合体」とは、このグローバル都市としてのワシントンを考える際に、重要な意味を持つ。カルダー教授によれば、「戦略的情報複合体は民間セクターに依存する色彩を強めているが、それは政府委託企業、非政府系研究所、シンクタンク、大学関係機関から構成される」(43頁)という。カルダー教授によると、このようなグローバル政治都市に当てはまるのは、ブリュッセル、モスクワ、北京、ワシントンであるという。それは、EU、ロシア、中国、アメリカという、現代の世界政治を動かすパワーの中心でもある。その中でも、ワシントンが重要である理由は何か。それは、「ワシントンの場合、過去に帝国の首都であったことがなく、確立した社会的なエリート層や中央集権的な組織がなかったため、驚くほど非中央集権的で、外からの影響に対して開放的である」のだ。だからこそ、多くの諸国がそのような開放的なワシントンで、自国の影響力をこの「グローバルな政治都市」で浸透させようと努力しているのだ。
第二章「パワーゲームの変容」では、グローバル政治都市であるワシントンの変容について触れられている。ワシントンは過去30年ほどの間に、飛躍的にその重要性を強めてきた。たとえば、1980年代初頭にはワシントンに拠点を置くシンクタンクの数は100程度であったが、その20年後の2000年代初頭にはその数が約4倍の393ほどになった。また「情報複合体」がワシントンで形成されることで、政府系諸機関だけではなく民間団体の役割もきわめて重要となっている。そこには、強力なシンクタンク、PR会社、ロビイスト、主要国の大使館、多国籍金融機関、そして有力メディアも含まれる。それらが近接した地域に密集して、現在では巨大な「戦略的情報複合体」を構成しているのだ。
第三章「アジア・ファクター」では、近年急速にアジア諸国の影響力がワシントンで強まっている現状を論じている。カルダー教授は次のように述べている。「第二次世界大戦まで、米国との間に政治的、軍事的、経済的な依存関係が弱かったことを反映し、アジアとワシントンはほとんど関わりがなかった。状況が劇的に変化したのは、1945年、米国が東アジアの大半を占領し軍事基地を建設したときで、アジアは米国の主要なマーケットとなった。米国がアジアとの関わりを深めつつ世界の超大国になったおかげで、アジア各国は自然とワシントンで活発に活動するようになり、『アジア・ファクター』が生まれた。」(113頁) とりわけ近年は、アジアの重要性はワシントンで増す一方である。
それを受けて、第四章「膨張するアジア」では、アジア系米国人のプレゼンスの拡大に触れて、アジアがワシントンで重要性を増している現状を説明する。アジア系の重要性が高まる理由として、いくつかの点が触れられている。1960年の時点で、アジア系米国人の存在感は必ずしもそれほど大きくはなかった。その中で最大のアジア系コミュニティは、当時は、日系人であった。それは全アジア系人口の47%以上を占めており、そのことがアメリカにおける日本の重要性や、日米関係の重要性の前提となっていた。ところが半世紀後の現在では、日系の割合は全体の7%以下に下がっており、主要アジア系コミュニティの中で6番目にまで落ちているのだ。このようなエスノ・ポリティクスの変化こそが、グローバル政治都市ワシントンにおける日本のプレゼンス低下ともつながっている。
第五章「ワシントンにおける各国の外交活動」では、中国、台湾、韓国、日本、シンガポールの五カ国の活動を紹介している。この中で、カルダー教授が最も高く評価しているのが、シンガポールである。シンガポールは、国の規模や、シンガポール系人口、貿易額などがいずれも控えめであるのにも拘わらず、ワシントンでの存在感は決して小さくはない。カルダー教授は、「シンガポール大使館スタッフの質の高さ」をその理由として指摘する。シンガポール大使館は、「大使を含め、わずか19人と驚くほど小規模だ」(234頁)。すなわち、日本の国力が低下したとしても、質が高い外交官を擁することで、日本はワシントンでの影響力を強化することが可能となるのだ。それは、純粋なパワーの競争というリアリズムの世界とは異なるロジックが働いている。
それでは、日本の存在感が低下している理由は何か。カルダー教授は次の四点を上げている。すなわち、第一に低迷する議会との交流、第二にシンクタンクでの存在感低下、第三にDC拠点の日本専門家の減少、第四に日本人学生と研究者の減少である。これらが合わさって、日本の影響力低下につながっている。カルダー教授は、日本の影響力が低下する一方で、韓国の影響力がワシントンで強まっている現実を説明する。すなわち、「著しく対照的に、韓国はワシントンの社会・経済活動において、ますます積極的になっている。日本の国際交流基金は1996年にワシントン事務所を閉鎖したが、韓国基金は2008年に事務所を開設した。野村総合研究所が1997年に閉鎖すれば、サムソン総合研究所が2008年にオープンするといった具合だ。01年には日本経済研究所がワシントンで事務所を閉じた直後、類似の機能を持つ韓国経済研究所が規模を拡大し始めた。そして、日本の経済団体連合会はワシントン事務所を2009年に閉鎖した。」(209頁)これらの一連の現実を知れば、なぜ日本の主張がワシントンで十分に浸透せずに、むしろ韓国政府の説明への共感が拡大しているか、容易に理解できるだろう。それゆえ、カルダー教授によれば、「巨大で洗練された経済、人口の多さ、高水準の技術レベル、巨額の外貨準備高にもかかわらず、日本はワシントンで驚くほど目立たない存在である。」(228頁)
続いて第六章では、「機能を拡大するワシントン」と題して、近年はワシントンがグローバル政治都市として、従来にも増して重要性が拡大している状況を論じている。すなわち、「多様でコスモポリタンな能力を有するグレーター・ワシントンの重要性が強まることになった」のである。このようにして、重要性が高まったワシントンDCで、日本のプレゼンスが低下した結果、中国や韓国の主張がより容易に浸透している現実が理解できるだろう。
最後に終章として「今、何をするべきか」と題して、いくつかの提言を行って本書を締めている。まず、ワシントンを理解するためのキーコンセプトとして、カルダー教授は独自の概念として、「グローバル政治都市」、「権力の半影」、「戦略的情報複合体」、「競争的クラスター」という用語を用いている。そして、カルダー教授が長年研究対象として論じてきて、また愛情を込めた友人として、日本に対して次のような提言を行っている。「日本への提言として最も重要なものは、『伝統的ロビイストや圧力団体ではない、インフォーマルなワシントンの重要性が増している点を認識すること』である。東京はアジアの他国に比べてワシントンに関する見方が古く、アジェンダ・セッティングの力と影響力の場がシンクタンク、大学の研究センターやマスメディアに急速にシフトしていることへの認識が遅れている。日本の政府と民間セクターは、この変化にもっと敏感になるべきで、狭い古くからの個人的な接触でなく、より広くワシントンへの関与を進めるべきである。」(274頁)

4.日本は何をするべきか

このようにして、本書はグローバル政治都市としてのワシントンDCの重要性の増加を論じるとともに、日米関係の将来に対する不安の原因を説明し、深刻な警鐘を鳴らしている。われわれは、ワシントンで日本の影響力が急速に後退し、それが日米同盟の将来を蝕んでいる現実を認識しなければならないのだ。豊富なデータと、カルダー教授自身の経験、さらには独自のネットワークを用いた情報収集に基づいて、本書で論じられている内容はいずれもバランスがとれた、正確なものであるといえるだろう。それは同時に、日米同盟の現在の深刻な弱点を、見事に見抜いて示しているともいえる。:
また、これまでのカルダー教授の著書と同様に、本書においても新しい視点や、新しい概念、新しいアプローチを提示しようと努力している。たとえばそれは、「グローバル政治都市」や「戦略的情報複合体」、「権力の半影」といった概念にも、そのような姿勢は顕著に現れている。カルダー教授は、われわれが通常見逃してしまう重要な領域に迫って、日米関係やアメリカのアジア諸国との関係をより総合的に、多角的に、バランスよく考えるためのヒントを提供してくれている。
他方で、われわれはもう一つの重要な視点も忘れてはいけない。それは、ワシントンDCという世界がアメリカという巨大な国家の中では、特殊な世界であるということだ。アメリカが民主主義国である限り、アメリカ政府はアメリカ全国の選挙区から選ばれた議員によって代表され、統治が行われる。それゆえに、われわれの視点をワシントンに集中させるべきではなく、アメリカ南部や中部、西部でのアメリカ国民の声にも耳を傾けなければならない。現代のアメリカでは、情報が豊富で外交政策コミュニティがすでに確立しているワシントンDCと、そのようなリソースを持たないアメリカの地方都市との間で、認識のギャップが広がっているように感じられる。アメリカという巨大国家を、ワシントンDCという政治都市に過度に留意することで、見誤る危険を十分に認識せねばならない。
とはいえ、グローバル政治都市ワシントンへの留意と、アメリカという巨大な国土全体への留意と、その二つを同時に意識することが重要であろう。それらは二律背反ではない。ワシントンDCでは、シンガポールのような小国が巧みで効果的な取り組みを行っている以上、日本がそのような行動をとれない理由はない。

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