国際政治学、あるいは外交史の研究は、はたして現在のコロナ危機を考えるうえでどのような貢献ができるのだろうか。今年3月下旬以降、急速に新型コロナウイルスの感染が拡大するなかで、そのようなことを考える瞬間が何度もあった。われわれ研究者は、感染が拡大し、重症者が増え、経済がよりいっそうの困難に直面し、社会が混乱することを沈黙して眺めることしかできないのだろうか。
そのようななかで、これまで読んだ何冊かの本を読み返し、国際政治学、あるいは世界史の視座から、現在直面する危機を再考することを試みた。学問とは、現在直面する危機を克服するうえでの教訓の宝庫であり、新しい視角を得て、われわれの視野を広げ、柔軟で新鮮な思考を提供する機会を得られるのではないか。そのような認識から、ここではいくつかの書籍を手掛かりにして、新しい視座を提供する試みを行いたいと思う。
細菌が世界史を動かす
細菌や感染症、さらには疫病が世界史を動かすという重要な視座を、世界で最も早い段階で提供した知識人の一人が、高坂正堯京都大学助教授であった。
高坂は、1965年10月から翌年3月まで、半年間、オーストラリアのタスマニア大学に滞在した。地球の裏側の、南半球の孤島である。[i]
帰国後の1968年に刊行した『世界地図の中で考える』において、高坂は次のようにその理由を述べている。「タスマニア島は私がひそかに関心を持ち続けて来た場所であった。タスマニア島の原住民の滅亡の話を子供のときに聞いて以来、タスマニア島という名前は私の記憶から離れなかった。[ii]」
なぜ、タスマニア人という一つの民族が、地球上から消滅したのか。高坂は、あることに気がついた。「もっとも効果があったのは、イギリス人の鉄砲でも大砲でもなかった。皮肉なことに、そうした文明の利器よりも、イギリス人が彼らの身体のなかに携えて来た微生物が、はるかに有効だったのである。」[iii] なぜか。次のように高坂は続ける。「タスマニア土人は、こうした微生物に出会ったことがなく、したがって抵抗力を持ちあわせていなかったために病気は急速に拡がり、しかも致命的であった。[iv]」
高坂のこのような視座は、画期的なものであった。細菌や感染症、疫病が世界史を動かすという視座、すなわち「疫病史観」とでも呼べるような歴史学のアプローチは、その後アメリカを中心に発展していく。高坂がこのようなタスマニア滅亡論を刊行した4年後の1972年には、アメリカの歴史学者、アルフレッド・クロスビーがThe Columbian Exchange Biological and Cultural Consequence of 1492を著し「コロンブスの交換(Columbian Exchange)」を提起して、大きな衝撃を与えた。[v] すなわち、スペイン人が大西洋を渡ってアメリカ大陸に天然痘などの感染症をもたらし、それと引き換えに先住民から黄金などの資源を奪い取った、という「交換」である。それによりインカ帝国などのアメリカ大陸の文明を滅亡させたという斬新な視点である。クロスビーは、この著書のもととなる学術論文をすでに1967年に発表しているとはいえ、高坂が世界に先駆けてこのような視座を日本語で一般読者に向けて提供した意義はきわめて大きい。
その後、世界的に著名な歴史家であるウィリアム・マクニール・シカゴ大学教授が、Plagues and peoples(『疫病と世界史』)を1976年に刊行して、細菌や感染症、そして疫病が世界史を動かしてきたことを、古代から現代までの歴史をたどり俯瞰することで示している。マクニールは、「歴史家がこれまで見落としていた人類の歴史のある一面」に光を当てようとした。すなわち、「それは人類と感染症の遭遇の歴史であり、また、感染症の支配地域を越えて接触が生じた場合に、常に新しい流行がそれまでその猛威に対する免疫を獲得していなかった住民の間に広がり、それが重大な様々の結果を生んできたという事実である。[vi]」
このようなクロスビーやマクニールの重要な学問的な貢献により明らかになり、細菌、感染症、そして疫病が世界史を動かす重要な原動力となってきたことを明らかにした。そして、そのようなテーゼは最近では、アメリカの生物学者ジャレド・ダイアモンドの著書『銃・病原菌・鉄』によって、より広く一般にも知られるようになっている。[vii] 近年、歴史学において、膨大な一次史料を用いた実証的な研究が主流になっているため、クロスビーやマクニール、ダイアモンドのような数千年にわたる長期的な視野から、細菌や感染症が歴史を動かしてきたことを論じる視座は、例外的なものとなっている。だが、そのような長期的な視野からの疫病史観は、現在われわれが直面する新型コロナウイルスもまた、同様にして、世界史的な変化をもたらすであろうことを示唆するものといえよう。
他方で、マクニールが『疫病と世界史』を刊行した1976年の翌年、1977年以降、それまで歴史のなかで猛威をふるってきた天然痘患者が報告されなくなり、1980年5月8日には世界保健機関(WHO)が「天然痘根絶宣言」を発表している。マクニールが、感染症の恐ろしさと、その威力に警鐘を鳴らす一方で、WHOはむしろ、人類が強力な感染症に勝利を収めたことを祝福し、以後、科学の進歩に基づいた楽観主義が蔓延することになる。
そのような潮流に、マクニールは警告を発していた。すなわち、「この本が書かれた時以来、医学界の意見の風向きはかなり変わってきた。一九七六年には医者たちの多くが、感染症なるものは人間の生命に深刻な影響を及ぼす力をもう持っていないと信じていた。科学的な医学は病原菌に対して遂に決定的な勝利を収めたと思ったのだ。[viii]」その後の歴史は、そのような医学界の楽観主義と勝利主義が大きな誤りであったことを示している。
これはまた、冷戦の終結という世界史的な出来事と重なった時期であることも興味深い。すなわち、病原菌に対する「勝利宣言」と、冷戦における「勝利宣言」が見られる時期が重なったことで、人びとは感染症に対しても、あるいは戦争に対しても、過度な楽観主義という陥穽にはまり、適切な予防や対応をする努力を怠りはじめたのである。マクニールは、『戦争の世界史』という長い視座の歴史書も書いている。[ix] そこで共通しているのは、感染症も戦争も、人類とともに進化してきたのであり、これからの人類と切り離すことができないということである。健康や平和に対する過信は、むしろ状況の悪化を招き、必要な対策を講じない愚へと帰結することを懸念すべきであろう。
バランスが崩れる危険性
高坂とマクニールが、細菌や感染症、そして疫病のもたらした世界史的な衝撃を論じる際に、共通した視座が見られることが興味深い。両者とも、バランス(均衡)という視座から世界史を論じ、またその重要性を指摘している。国際政治の歴史を論じる際にはパワー・バランスの重要性をつねに留意しているこの二人が、細菌や疫病を論じるときに人間界と自然界のバランスの重要性に注目していることは、示唆的である。
高坂は、『世界地図の中で考える』において、次のように指摘する。「人間の体内にある微生物は微妙な生態学的バランスを保っている。人間にとって有害なバクテリアも、より有害なバクテリアを抑制するという機能を果している。だから、それらが絶滅すればさらに有力なバクテリアが人間を苦しめるということになるだけなのである。病気はこうした微生物のバランスが崩れるときにおこる。[x]」高坂は、「社会のさまざまな疾患の原因をひとつの要因に求め、それを除去することに血道をあげている人がいかに多いことか」について、懸念を示す。たとえば、「戦争という疾患の原因をひとつのものに求め、それを除去することだけを考えている態度は、『微生物の狩人たち』とそっくりである。[xi]」また、「国内の諸疾患についても、その絶滅を計って、絶滅することがいかに大きな問題を生むかを考えない人はいくらもいる。」高坂は、病原菌や、疾病を論じながら、同時にそれをより普遍的な問いとして、「バランスが崩れるとき」の危険性、そして「さまざまな疾患」を「絶滅」しようとするような、社会における狂信的な行動に駆り立てられる危険性を論じる。
同様に、マクニールもまた、感染症を撲滅しようと奔走したその努力が、かえって新しい問題をもたらす逆説を次のように述べる。「マラリア、結核その他誰でも知っている感染症の、耐性を備えた系統が勢いを増してきているという事実は、われわれ人類の身体を喰い荒らす寄生生物に対する二十世紀の数々の勝利なるものが、実は宿主である人類と病原菌の間に大昔から成り立っているバランスが、異常に劇的で激しい混乱状態に陥ったことの、第二の、そして多くの点ではるかに重要なあらわれにほかならない。[xii]」マクニールは、『疫病と世界史』のなかで、「宿主と寄生体の間の均衡なるものは、人類の(いや、あらゆる多細胞生物の)永久に変わらぬ姿なのだと主張し、そこでいろいろ述べたことがエイズの出現、また古くからある感染症の抵抗力を持った系統の出現を充分説明してくれるはずと長い間信じていた」と論じている。[xiii]
この問題について、高坂は人間の体内における微生物や病原体のミクロなバランスを論じ、他方でマクニールは人類と自然界というマクロなバランスを考えている。いずれにせよ、そのようなバランスが崩れるときに、健康が損なわれたり、新しい猛烈な感染症が発生したりするという。絶対的な健康や、絶対的な感染症からの安全を語ることは、絶対的な平和を追求することと同様に空虚なことである。人類は不幸にして、病原菌、感染症、憎悪、戦争といったものと、これからも共存していかなければならないのだろう。
「バック・トゥー・ザ・フューチャー」
いわば、人類が経済成長を楽しみ、アジアやアフリカでの開発を進め、活動領域を拡大し、さらにはグローバル化によって飛行機などを利用した大量の人の移動を可能としたことで、新しい感染症が発生する温床をつくってきたことになる。そのような人類の活動を続けるのであれば、われわれはこれからも感染症と、新型コロナウイルスのもたらす数々の困難を直視して、その現実を受け止めなければならない。そして、われわれが新しい均衡を生み出したときに、より安全な社会が生まれ、より健康な生活が可能となるのではないか。
われわれは、過去の慣れ親しんだ世界に戻ることに執着するのではなくて、今までとは異なる新しい未来の生活を生み出し、それに適応しなければならないのだ。いわば、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』が示したように、未来に戻ることにしよう。
[i] 服部龍二『高坂正堯 ―戦後日本と現実主義』(中公新書、2018年)116-7頁。
[ii] 高坂正堯『世界地図の中で考える』(新潮選書、1968年)13頁。
[iii] 同、32頁。
[iv] 同、32-33頁。
[v] Alfred W. Crosby Jr, The Columbian Exchange Biological and Cultural Consequence of 1492, 30th anniversary edition (London: Praeger, 2003/1972).
[vi] ウィリアム・H・マクニール『疫病と世界史(上)』佐々木昭夫訳(中公文庫、2007年)26頁。
[vii] ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 ―一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎(上・下)』倉骨彰訳(草思社文庫、2012年)。
[viii] マクニール『疫病と世界史(上)』11頁。
[ix] ウィリアム・H・マクニール『戦争の世界史(上・下)』高橋均訳(中公文庫、2014年)。
[x] 高坂『世界地図の中で考える』38頁。
[xi] 同、38-39頁。
[xii] マクニール『疫病と世界史(上)』12-13頁。
[xiii] 同上、13頁。