岩手県矢巾町は、盛岡市の南に隣接する人口約2万7000人の田園都市である。町政の総合計画を作成するにあたって、住民の意見を採り入れるため、6回にわたる住民討論のワークショップを開催している。筆者は研究者としてそのワークショップを見学した。
矢巾町は町政の意思決定に「フューチャー・デザイン」という手法を本格的に採用した全国初(そして世界初)の自治体である。フューチャー・デザインとは、一言でいえば、政策を論ずる場において、参加者が「数十年先にタイムマシンで飛び、将来に生きることになった」という想定の下に議論する、ロール・プレイング・ゲームのような手法である。数十年先の将来に生きる人間になったつもりで議論するので、フューチャー・デザインに参加することを「仮想将来人になる」とも言う。
フューチャー・デザインは、高知工科大学の西條辰義教授が2012年に初めて提唱したアイデアである。北米先住民のイロコイが重要な政策決定をする際に「七世代先の子孫になったつもりで」意思決定する制度を持っていたという話をヒントに西條氏が考案した。
現在、高知工科大学、大阪大学、信州大学などで、多くの研究者が学際的な研究を進めている。筆者もその研究グループの末席に連なっている関係で、今回、見学の機会を得たのである。ワークショップでは、住民3~4人のグループを6班作り、グループごとに公民館の大講堂で議論した。グループの間には間仕切りがあるだけなので、あちこちから活発な議論が賑やかに聞こえてくる。たくさんの見学者が、講堂内を歩き回り、各グループの議論に取材が入ったりもして、大盛況であった。
議論の最終目標は、町政にまつわる総合計画をどう変えていくかだが、まずは自分が2060年に生きていると仮定して、未来の生活を想像してくださいと言われ、みな面食らう。町役場の職員が議論のリード役となり、住民はいまと同じ年齢で約40年後にタイムスリップすることを想像するのだ。矢巾町がフューチャー・デザインを正式採用したのは今年の4月なので、町の職員も、どう議論を誘導するか、手探り状態である。
参加者は中高年の住民が多く、最初は「未来に飛ぶ」といわれても戸惑う様子が見られたが、ものの10分もすると自由な発想にもとづく発言が始まった。2060年までには気候変動によって災害が多発し、農業の重要性が増しているのではないか。人工知能の発展によって仕事に取られる時聞が減り、生活に余裕ができるので、矢巾町は音楽と芸術の町になっているのではないか......。
次に、来年から2024年までの町政のあり方を決める総合計画において「2060年の将来人として要望すること」が議論のテーマになった。2060年から現代に戻ると多少は議論が混乱したが、「昭和の時代と同じ物差しで考えていてはダメだ」とか、「行政の枠を超え、学校や企業も巻き込んで『心』の問題を取り上げるべき」といった大胆な意見も出た。
普通の住民討論では出てこない発想が表れたのは、参加者の間に、矢巾町というコミュニティへの主体的で強い参加意識が生まれたことの証左ではないだろうか。
数十年後の将来世代の視点を持つという体験には、コミュニティへの参加意識を再生させる作用があるようだ。コミュニティの政治への参加意識を高めることこそ、現代の民主主義がもっとも苦手とする問題だ。新しい民主主義の技法として、フューチャー・デザインの将来性はそこにあるのかもしれない。
中央公論 2019年9月号(2019年8月10日)掲載