ポイント ○接触確認アプリ改善で保健所業務軽減を ○アプリ普及で感染者数は顕著に減少可能 ○債務調整と事業構造改革を一体で進めよ |
新型コロナウイルス感染症の拡大を防止し、経済を再生させるために必要な政策課題を論じたい。前者は接触確認アプリの普及、後者は増え続ける企業債務の調整である。
今後、感染が急増すれば、保健所は業務過多となり、検査や入院調整が回らなくなる。こうした限界をデジタル技術で超えるという期待を担うのが接触確認アプリである。接触確認アプリ「COCOA」は、スマートフォンにダウンロードした人がPCR検査で陽性となり、その事実をアプリに登録(陽性登録)すると、過去2週間に濃厚接触した可能性のある人のアプリに接触通知が送信される。
通知を受けた人はPCR検査を無条件で受けられる。このサイクルが回れば、保健所の人手を使った接触者調査を大幅に省略し、効率的に感染抑止を行える。
ただ、改善すべき点が多々ある。現在のシステムでは、陽性者がアプリに陽性登録するには保健所が発行する処理番号が必要となる。陽性時に保健所を経由せずに接触通知を発信できるようにしないと保健所業務が効率化できず、目詰まりは解消しない。
また、アプリが自動的にダウンロードされ、削除したい人だけが削除できる方式にすれば、現状のオプトイン方式より普及率が上がると期待される。
保健所の介在なく機能し、システムにエラーがない接触確認アプリが普及すれば、感染拡大を効果的に抑制できることは、英オックスフォード大学のクリストフ・フレーザー教授らの論文に示されている。
東京財団政策研究所の千葉安佐子ポスト・ドクトラル・フェローは、エージェントベースモデルによるシミュレーションで、接触確認アプリの有効性について検証を行っている。人口7万人の仮想世界を日本の国勢調査のデータをもとにコンピューター上に再現し、この世界で新型コロナの感染拡大を計算したところ、スマホ保有者の7割以上が接触アプリをダウンロードすれば、感染を半分以下に抑えられるという結果が得られた(図参照)。
これは「接触通知を受けた人が検査を受けて陽性になれば隔離される」という運用(接触者検査型運用)の結果だが、「接触通知を受けた人が(検査を受けることなく)即座に自宅待機をする」というフレーザー教授らの運用(接触者隔離型運用)をした場合には、感染をさらに抑え込める。
接触者隔離型運用では、ダウンロード率が5割程度であっても、感染者数は3分の1に減らせ、7割以上になると感染者数をほぼゼロにできるという。検査で陽性にならない感染者(感染力のある人)が自宅待機するので、感染が広がらなくなるからである。現実的には接触者検査型運用になるが、接触確認アプリの感染抑制能力は、理論的には非常に大きいといえる。
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次に、企業債務の問題を検討してみよう。コロナ禍での売り上げ激減や資金繰りのために多くの企業が債務を増やしている。危機対応の無利子無担保融資制度も整備され、年初から6月末までの全国金融機関の融資総額は31兆円増加し、2019年同期の3倍の増加幅となっている。
ウィズコロナの時代が、数年あるいは10年単位で継続することが想定される状況では、接触型の産業(飲食、宿泊、観光など)は、長期的に需要が減少すると見込まれる。多くの企業が事業構造改革を余儀なくされるだろう。例えば、リアル店舗からオンライン注文によるデリバリー店へのビジネスモデルの転換などである。また、一定数の事業者は接触型産業から退出し、新天地での再出発を目指すことになるだろう。こうした変革は、なるべく早く着手する方が痛みは少なく、長く現状維持を続ければ続けるほど変化のコストは大きくなる。
事業構造改革に早期に着手し成功させるには、過剰債務の削減が必須である。1990年代、過剰債務のために債務返済に企業の労力が吸い取られ、前向きの事業構造改革に着手できなくなり、優秀な人材も会社を去って事業が長期的に劣化した。これが「失われた10年」の教訓である(東京大学の星岳雄教授らの08年の論文など)。いまこそ、「債務調整と事業構造改革の一体的な推進」を政策方針とすべきだといえる。
しかし、危機対応の資金繰り支援として「融資を増やせ」と政府が金融機関に言っているのに、どうやって債務調整(すなわち債権放棄)に舵(かじ)を切るのか。当初は短期的と思われたコロナ危機が長期化すると分かったのだから、新しい情勢認識に応じて政策方針が変わるのは当然だ。
過去半年のコロナ対策として新たに貸し出された融資とそれ以前の融資に分けて考えると、まず、コロナ対応の新しい融資には、政府の信用保証がついているケースが多い(信用保証残高は過去半年で12兆円増加)。これは、金融機関が代位弁済を求めれば求償権は信用保証協会に行くので、信用保証協会が借り手企業への求償権放棄と、事業改革のトリガーを引くようにすればよい。こうして債務調整メカニズムを始動することに対する金融機関の理解を得るべきである。
信用保証のついていない融資や、コロナ前からある過剰債務については、中小企業の長年の低生産性の問題を解決し、デジタル革命に対応してビジネスモデルを進化させるためにも、早期の債務調整が必要だという認識を政府と金融機関が共有すべきである。
債権を塩漬けすると、借り手の事業が劣化し、かえって損失が拡大する。早期の債務処理は、地域経済の長期的な成長の基盤となる。地域金融機関にとって、長期的な収益を増大させるために、地域企業の債務処理は必要な手術といえる。
金融検査や監督によって政府が金融機関の背中を押すことも必要となるだろう。地域金融機関や再生ファンドの関与の下、借り手企業が事業構造改革を実行することが望まれる。
債務削減を実行しやすくするための政策として、例えば、金融機関の債権のみを債権者の多数決で削減できる制度(多数決による金融債権整理制度)を法的枠組みとして創設することなどが考えられる。仕入れ先などの商取引債権が保存されるので、取引先との事業関係が維持され、企業価値の毀損が避けられる。これは効率的な債務整理を可能にする制度であり、英仏韓などでも導入されている。
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経験したことのない危機に直面し、「まともに返済しなくてもなんとかなるのではないか」という先送りモードが現場にまん延しているという話を耳にする。
政府には、なによりも世の中のこうした認識を変えるため、「先送りしても出口はない。無利子無担保融資の返済猶予期限である3年程度で、事業構造改革を実現すべきだ」という、時間軸のある明確なメッセージを、国民に示すことが求められる。
2020年10月13日 日本経済新聞「経済教室」掲載