新型コロナウイルス感染症の感染拡大が深刻化する中、昨年4月にアメリカや欧州で「PCR検査を増やして感染者を隔離し、市中の感染者を減らして、社会経済活動を早期に正常化するべきだ」という主張が経済学者等から提起された。このアイデアは日本でも大きく取り上げられ、検査を増やすべきかどうか、今も続く大論争を引き起こした。
欧米の経済学者たち(ノーベル経済学賞受賞者のポール・ローマーら)の議論は、検査によって感染者を発見し、隔離すれば、二次感染を防げるので、社会全体で感染者の数を減らせるという考え方だった。検査の供給量(機器・試薬や人員などのキャパシティー)に限界がなく、検査コストも安価だったら、検査を国民全員に実施し、陽性者を適切に隔離すれば、理論的には、感染を収束させられる。しかし、現実には、検査キャパシティーには様々な限界がある。実際、欧米でも検査キャパシティーは日本よりも圧倒的に多く増やしたものの、それでも検査数が感染拡大に追いつかず、一般市民への無差別大量の検査によって感染拡大を収束させるという戦略は成功していない。
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さらに、日本の場合、公衆衛生の専門家の次のような考え方が検査の件数自体を抑制する方向にはたらいた。公衆衛生の立場では、「なるべく保健所の検査業務の負担を最小化しながら、効率的に新型コロナの感染者を発見すること」が検査の実施の目的となる。そのため、感染の事前確率の高い対象者に検査の実施を絞って、空振り(検査をして陰性の結果を出すこと)をなるべく減らそうとする。結果的に、症状もなく濃厚接触者でもない人に検査をすることについては、公衆衛生の専門家はきわめて消極的な態度になる。加えて、公衆衛生の専門家は、偽陽性や偽陰性を出すことを避けたいという思いが非常に強い。これも、検査対象者を絞り込む大きな動因となっている。
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しかし、こうした日本の検査政策の考え方は、検査政策の社会経済的な意味での公共性を適切に考慮していない。検査の社会経済的な意味での公共性とは、「情報の不完全性」を是正するというPCR検査の機能である。
コロナは、感染しても無症状の人が8割前後に上るため、「感染していても、自分が感染していることを知らない」という情報の不完全性が生じる。情報の不完全性があると、消費者が感染することや感染させることを恐れて、外出を減らし、消費を減らす。そのため、経済活動が悪化する。「情報の不完全性」とは、経済を悪化させる一種の「公害」なのである。PCR検査を受ければ、「自分が感染しているかどうか」についてある程度の確信が持てるようになる(PCR検査は感度70%なので、陰性の結果が出ても確実に感染していないとは言えないのだが、感染していない確率は上がる)。
これは情報の不完全性の是正であるから、検査には社会経済的な「公害」を減らす公共性があるのである。経済学者から見れば、「検査をして、結果が陰性になること」は、情報の不完全性を是正する効果があるので、非常に有意義な結果である。一方、公衆衛生の専門家から見れば、検査結果が陰性になったら、単なる「ムダな検査」であり、失敗だったという評価になる。
情報の不完全性という公害が経済活動を悪化させる効果は非常に大きいので、この公害を是正するPCR検査の機能は、人間社会にとって、公共政策として非常に大きな意義を持つと考えるべきである。
公衆衛生の議論(すなわち、保健所の業務負担をなるべく軽減して、効率的に感染者を発見するために検査対象を絞るべき、という考え方)は、「情報の不完全性の是正」という検査が持つ公共的意義をまったく無視しているので、適切な考え方ではない。PCR検査は医療行為を目的として発明された技術だが、それは医療界の占有物ではなく人類共有の財産である。PCR検査を医療にとっての利益だけで判断するべきではなく、社会全体の利益を最大化するためにPCR検査をどう使うか、という観点で判断すべきだと考える。
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無症状でかつ感染リスクの低い人々(分科会の定義ではカテゴリー2b)へのPCR検査について、今後の見通しとしては以下の二点が言える。
① 行政検査の対象者を拡大していくことが必要である。実際、検査キャパシティーの拡大に伴って、行政検査の対象者の範囲は拡大していくと予想される。
② 民間企業が提供する自費検査については、価格競争で低価格化し、これからもさらに普及していくと思われる。しかし、自費検査についてはルール整備をすることが課題である。具体的には、国が、民間の自費検査の品質をチェックし、一定以上の品質をもつ検査を認証するべきである。さらに、自費検査で陽性者が出た場合に検査機関から保健所に報告することを法的に義務化し、自費検査で陽性になった者も確実に治療や隔離の措置を受けられるシステムを作ることが必要である。