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政策に「時間コスト」の意識を

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February 22, 2021

ポイント
○事前審査なしの所得連動型給付で救済を
○専門家待ちはコロナ危機時にはリスク大
○試行錯誤から学習して政策進化を目指せ

新型コロナウイルス感染症の第3波の拡大と、2回目の緊急事態宣言により、経済には再び強いブレーキがかかった。企業倒産や解雇などにより、生活に困窮する人が続出する可能性がある。人々の生活を支えるための新たな給付金が必要となるかもしれない。緊急時における生活困窮者にターゲットを絞って、迅速に給付金を支給する政策として、「所得連動型現金給付」という考え方がある。

生活困窮者が政府に給付金を申請すれば、事前審査なしで即座に給付金が支給され、事後的に年末の納税申告において所得の状況を当局がチェックし、所得が高かった人からは上乗せ課税のかたちで給付金を返済してもらう仕組みだ。真の困窮者には課税されない。

20204月にオーストラリア国立大学のシロ・アームストロング豪日研究センター長と筆者が経済産業研究所のコラムで提案した案では、毎月15万円を1年間支給し、上乗せ課税の開始を3年後とした。

アイデアの前例は、オーストラリアで1980年代に始まった所得連動型学生ローン制度(HECS、後のHELP)だ。同大のブルース・チャップマン教授が考案したもので、学生は卒業後に所得のレベルに応じて、異なる金額を返済する。同様の学生ローンはその後、英国やニュージーランドなどでも普及した。

コロナ禍における家計や企業への支援の手段として所得連動型現金給付を使うというアイデアは、米ハーバード大学のグレゴリー・マンキュー教授も事前審査なしの支援スキームとしてブログで提唱している。また、米コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授ら、多くの経済学者が所得連動型ローンについて論じている。

所得連動型現金給付という方法は(1)事前手続きが不要(2)事後の上乗せ課税は所得連動なので格差是正効果を持つ(3)支援を受ける必要がない人は申請しないことを自発的に選ぶ――などの利点がある。特に事前手続きが不要で支払いが迅速という点は、生活の崩壊にひんした家計への速やかな支援方法として有用である。

政策形成への専門家の関与について、オーストラリアの学生ローンのような成功例もあるが、政策決定に専門家がかかわることが問題を生み出すこともある。

◇   ◇

たとえば、19日に大阪・京都・兵庫の知事は政府に緊急事態宣言の発出を要請したが、関西圏などへの宣言の発出は同月14日まで遅れた。3知事からの要請後の同月10日、菅義偉首相は宣言発出に慎重な姿勢を示し、「分科会の専門家がもう少し様子を見たいと言っている」ことを理由とした。

確かに18日の分科会では、感染症専門家から、関西圏などの感染拡大が一時的なものか継続的なものか判断するには、あと数日は様子を見てデータを蓄積することが必要だという主張があった。しかし、分析結果が出るまで時間がかかるからといって、政府が政策決定を待つべきだ、ということにはならない。常に学者が結論を出すまで待っていたら、最悪、医療崩壊など極めて大きな社会的コストが発生する。

専門家が分析に時間をかけることはプロとして当然だが、政治家は専門家の分析結果を待つことの「時間コスト」を政治判断するべきである。ところが、現在の日本の感染症対策では、政策実施のタイミングまで専門家の判断待ちが当然視される空気がある。

同じことは、感染力の高い変異株の流入阻止に関する水際対策についても言える。201223日時点では、政府は英国からの入国管理を強化したが、それ以外の国については入国を制限せず、空港検疫で採取した検体をゲノム分析し、変異株の侵入が起きたかどうか確認を続ける、という方針を考えていた。その後、全世界からの外国人の入国禁止などの措置に段階的に強化された。

この方針決定は「変異株の状況について正しい分析結果を出したい」という専門家の要望に引きずられている。専門家は、正しい結果を出すためには時間が必要だと言う。もし分析結果が水際対策の政策アクションの必須条件ならば、政策変更するのは少し様子を見るしかない。

しかし、政策決定者は、あくまで「時間コスト」を強く意識すべきである。分析を待つ間に変異株が日本に侵入すれば、指数関数的に感染拡大し、取り返しのつかないコストを社会にもたらす。変異株が世界のどの地域まで来ているか分からない状況にあっても、最悪のケースを想定するならば、水際対策を極限まで強化することは経済社会全体にとってリスクを最小化する観点から正当化できる。

この「社会全体のリスク最小化」は、感染症専門家が責任を持てる話ではない。専門家は、分析結果の「誤り」を最小化しようとするものである。時間をかけてデータを集めればそれだけ「誤り」の可能性を最小化できるので、様子見を好むのは当たり前だ。

一方、政治指導者の目的は、分析の誤りの最小化ではなく、社会の被害を最小化する危機管理である。危機時には、政策的アクションについて様子見をする潜在的コストは平時よりも格段に大きくなる。政策的アクションのタイミングを、専門家のボトムアップのコンセンサス(合意)に依存する現在の政策決定システムは、危機管理の方法として問題である。

専門家は、その時点で分かっているベストな科学的知見を政治指導者に提供するのが役割であって、政策内容やタイミングを決めるのは、常に政治指導者であるべきだ。

状況が分かるまで様子見か、それとも政治決断で先制的なアクションを行うか。いまは散発的な変異株の市中感染への対処について、まさにこの判断が問われている。英国型、南アフリカ型、ブラジル型などの変異株の感染が国内のある地域で面的な広がりを見せた場合に備え、コンティンジェンシープラン(危機対応計画)が必要ではないか。

また、ジョンソン・エンド・ジョンソンのワクチンは接種のロジスティクス(物流管理)が他のワクチンに比べ格段に容易となる可能性があるが、積極的に確保しようという日本政府の動きは見えてこない。検討や対応を求める政治の号令が必要ではないか。

◇   ◇

政府が専門家の正しい分析結果を待ってから判断しようとする背景には、「政府が間違いを犯したと批判されてはならない」という、無謬(むびゅう)性神話があるのかもしれない。それは、責任追及を受けたくないという政治家や官僚の防御本能とも言える。

未知のウイルスとの闘いにおいて、政策に間違いが起きるのは当たり前であり、政府は試行錯誤を繰り返すことで政策を進化させるべきである。国民の側も、朝令暮改は政策進化の証拠として歓迎すべきではないだろうか。

 

2021年2月16日 日本経済新聞「経済教室」掲載

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