日を追うごとに感染者が増え続ける新型コロナウイルスによる肺炎の被害は、中国経済だけではなく、世界経済に甚大な打撃を与えている。中国で初感染者の存在が発覚してから約3ヶ月、中国社会のどのような背景から今回のような事態が引き起こされ、実際に何が起きているのか。
特別企画として、中国経済やグローバル・サプライチェーンに詳しい、対中国戦略研究ユニットの柯隆主席研究員に訊ねてみた。
※本インタビューの内容は2月上旬時点のものですが、中国の地理的・構造的な情勢をふまえた予測は現在にも通じる多くの示唆を含んでいることから、特別企画としてご紹介いたします。
― 今回の新型コロナウイルスの感染拡大に関して、中国政府の対応をどう見ていますか。
これは天災ではなく人災と言っても過言ではない。中国政府の初動はもっと早く出来たはずだと考えている。感染症の発生そのものについては病理学的な分析に委ねられるが、今回の新型コロナウイルス感染による肺炎への対処法をみると、習近平政権の統治能力とリスク管理能力の弱さが如実に露呈してしまった。まず中央政府の指揮命令系統が予想以上に混乱し、新型コロナウイルスの感染があっという間に広がってしまった。さらに地方政府による感染者情報の隠蔽により事態の全容把握に遅れが生じたことなども影響し、中国社会は一気にパニックに陥ってしまった。被害拡大を止められないもう一つの要因として、医療施設の不足がある。これまで中国政府は海外投資には力を入れるものの、自国や自国民に対する投資を怠ってきた。その結果の現れとも言える。中国政府の公共投資のあり方が正しかったのか検証が必要だろう。
― 新型コロナウイルスの感染拡大について、習近平国家主席は、共産党指導部全体の意見として、政府の初期の対応に問題があったことを初めて認めましたが、その真意は何でしょうか。
通常、中国に限らずグローバル市場においては全面的に非を認めるような発言は控えられることの方が多い。しかし、今回の事態は、事実関係を並べてみても明らかに非を認めざるを得ない状況であったといえる。昨年12月8日に初感染者の存在が発覚し、武漢の封鎖に至ったのは本年1月23日。実にひと月半以上が経過している。しかも更に問題なのは、自国民への感染症警戒のアナウンスより先に、米国に対しては1月3日時点で感染症の存在を知らせていたとの事実が某要人より漏れたとの話があることだ。自国民を優先しなかったこの判断は、政府弱体化に繋がりかねない。以上のことから、習近平国家主席は今回の対応についての非を認め、恐らく今後は事態を収めるために数名の中央・地方政府の官僚が辞任に追い込まれることも考えられる。
― 2月3日には、春節明けの上海市場の大幅下落に伴い、東京市場も下落をしましたが、この「負の連鎖」は一過性のものだと思われますか。
中国は現在パニック状態に陥っている。このようなパニック状態では人々の意識は投資には向かないだろう。株への投資より目先のマスクの在庫に目が向くのは当然の心理である。特に、都市の封鎖によってヒトの流れを止めることが出来たが。同時にモノの流れも止めてしまった。ウィルスを封じ込めるため、ヒトの流れを止める必要はあるが、モノの流れを止めてはならない。
― では、このパニック状態は今ピークを迎えているとお考えでしょうか。
まだピークを迎えているとは言えない。本当の意味では、これからが正念場である。例えば武漢は封鎖され物流が停止してしまっているが、現在は食料等の必要物資の蓄えがまだ辛うじて残されている状態である。これは、年に一度の春節のために、各家庭が食糧などを大量に買い溜めていたためである。大体の家庭が10日程度は何とか食いつなげる可能性があり、不幸中の幸いといえる。
― 家庭での蓄えが尽き、物資の供給が儘ならなくなってしまったら、どんな事が起こると予想されますか。
その場合、一般人が暴徒化してしまうことも考えられるだろう。日本では災害時に他人同士であっても食料などを分け合い、協力するALL JAPANの精神が発揮されてきた。しかし中国、特に武漢市においては歴史や産業構造を背景とした地域性から、一般人の非常事態に対する反応は、日本と同様にはいかない可能性が高いと考えられる。
― 歴史や産業構造を背景にした地域性とはどういった側面ですか。
武漢は、広州と北京を南北で結ぶ高速鉄道と、上海と成都を東西に結ぶ高速鉄道が交差する湖北省の主要都市であり、長江と漢江の合流地点に位置する古くから続く交通の要衝である。60年程前の毛沢東時代に、中国政府は、米国や台湾から沿岸部にある国営企業を攻撃されることを懸念し、それらの施設や機能を山間部に移動させた。その移動先が、山間部にありながらも交通網に恵まれた湖北省であり、その結果、武漢一帯は鉄鋼業や自動車産業などの一大重工業地帯となった。このようにして武漢は、現在のような工業・経済の集積地となったのである。
歴史的、世界的に見て商工業の集積地では競争が常に存在し、結果としてそこに住まう人々の気性がやや荒くなる傾向があると言われている。それは、地域性として武漢市にも当てはまるように思われる。
― SARS発生時の経済インパクトと比べて、今回はどのような影響があるとお考えでしょうか。
SARS発生時と比較してより甚大な経済的影響があると考えている。B to Cビジネスを営む企業への影響はかなり大きい。多くのB to C企業は、一般的なB to B企業よりも事業規模が小さい傾向にある。B to C企業は労働集約型の事業モデルが主で雇用を創出するが、多くは中小企業である。新型コロナウイルスによる今回の被害は、モノやヒトの流れを止め、“to C”の部分に近ければ近いサービスを提供しているほど、直接的な被害を受けるだろう。今後は中小企業の倒産、失業者の増加といった事態も考えられる。
― 中国人民銀行(中央銀行)が公開市場操作で金融市場に1兆2千億元(約18兆7千億円)を供給すると発表されましたが、この政府の対応が市場に与える影響をどう見ていますか。
中央銀行からの資金供給は、感染拡大の影響を受ける企業に銀行が貸し出せる資金を増やすことを目的に行われる。しかし、銀行もリスクを背負いたがらず、貸し渋りが起こるのではないかと予想される。銀行が国有企業と民営企業の違いを問わずに積極的な融資を行うかというとそうではないだろう。国有企業への融資には前向きだろうが、本当に被害で困っているような民営企業の特に中小企業が苦しい状況は大きく好転はしないと考える。
― 中国政府は、新型コロナウイルスの影響で落ち込んだ中国経済を、どう立て直そうとしているのでしょうか。
まだ実質的には春節は終わっていないため(2月4日現在)、中国政府は政策パッケージを議論出来ていないのではないと考えている。現在の中国政府が対応を優先すべきと考えているのは、①病院不足、感染者治療の対応をすること②非感染者の生活を安定させること、の2点であろう。経済活動の立て直しについての優先順位はその次である。
さらに、政策の議論をしようにも、3月5日の全国人民代表大会(日本における国会)すら、今回の非常事態で恐らくスケジュール通りには開けないのではないだろうか。
経済立て直しの面では、B to Bの事業活動が回復しても、B to Cの現場や国民生活が回復しない限りは正常に戻ったとは言えない。今回のことは、推計や表面的な事象だけではなく多面的に問題を見極める必要があるだろう。
― 日本経済への影響という観点では、春節で見込んでいたインバウンド消費(訪日外国人消費)が低迷しました。インバウンドが日本経済を下支えしている実態は、日本経済の弱点といえるのでしょうか。また、今後日本は「インバウンド」とどう向き合うべきでしょうか。
現実的に見て、日本経済はインバウンドに頼らざるを得ないだろう。ただ、平時を前提としたビジネスをしていると非常事態への対応ができないため、常にリスクに備える必要がある。
― どのようにリスクに備えれば良いのでしょうか。
官民一体となった施策やファンドを作るなどして、リスクに備える必要があるだろう。インバウンドを支えている事業者の多くは中小企業であることも鑑みると、一社単体ではリスクに対して十分に備えることは難しい。日本の「協力」に長けている特長を活かしたリスクへの備えが求められるだろう。
2020年2月4日時点(聞き手:東京財団政策研究所 広報)