中国政府の発表によると、2019年、中国の一人当たり国内総生産(GDP)は1万ドルを超えたといわれている。この統計を踏まえれば、中国は中所得国の罠を回避したといえるかもしれない。中所得国の罠とは、新興国の多くが中所得国になったあと、なかなか先進国になれないことをいう。世界銀行の定義によると、一人当たりGDPが3000ドルから1万ドルまでの国が中所得国といわれている。中国の一人当たりGDPは順調に2万ドルに達することができるのだろうか。この設問に答えるために、ここで、中国経済の構造問題を検討しておく必要がある。
中国は1978年に「改革・開放」へ針路を転換した。その後、中国経済は徐々にキャッチアップ(離陸)した。中国経済のキャッチアップは決して順風満帆ではなかった。1990年代初期までは政府主導の計画経済を温存しながら、経済成長が図られた。それ以降、市場経済の枠組みを受け入れ、いわゆるtwo track modelとなった。鉄鋼、運輸、鉄道、航空など重厚長大の産業と電力や水道、ガスなど国民生活と密接な関係にある産業は基本的に国有企業が担うことになった。国有経済を補完する形で軽工業、流通、小売りなどへの民営企業の参入が認められた。いわゆる二重構造である。
中国経済にはもう一つの二重構造がある。それは都市と農村からなる二重構造である。これは1954年に遡る必要があるが、当時、中国政府は厳格な戸籍管理制度を導入した。その後、農村戸籍の人は勝手に都市部に移住することができなくなった。都市戸籍の人も戸籍上の居住地を離れて、違うところに移住することができなくなった。極論すれば、戸籍管理制度は政府が人民を厳格に管理するための制度である。戸籍管理制度は、近年になって部分的に緩和されているが、完全に撤廃されたわけではない。
都市と農村の二重構造のもとで、鉱工業を中心とする第二次産業とサービス業を中心とするサービス産業は大きく伸長したにもかかわらず、農業を中心とする第一次産業からの第二次産業と第三次産業への労働力の移動、すなわち、都市化が大幅に遅れている。「改革・開放」以降、戸籍管理は緩和されていないにもかかわらず、都市戸籍を持っていない若い農民が、現金収入を手に入れるために、都市部、とりわけ、沿海部の大都市へ出稼ぎするようになった。際限なく供給される出稼ぎ労働者は「改革・開放」以降の経済成長を支える人口ボーナスとなった。
1989年11月、東西ベルリンを隔てるベルリンの壁が撤去された。1991年にはソ連共産党が解散された。この一連の出来事を経て、戦後40余年続いた冷戦が終結した。この動きについて、フランシス・フクヤマ教授(政治学)は、The National Interestに寄稿した論文のなかで、「歴史の終焉」を定義した。冷戦の終結は中国に経済成長のチャンスをもたらした。もともと東側陣営に属していた中国は、経済の自由化を推進し、工業化国の企業の直接投資を誘致するようになった。外国資本が中国の際限なく供給される労働者とハイブリッドすることでビジネスに成功したと同時に、中国経済も順調にキャッチアップした。
中国経済のキャッチアップモデルは典型的なリカード型の比較優位モデルといえる。中国政府は、減免税などの優遇措置を講じて外国企業の直接投資を誘致する代わりに、外国企業に外貨バランスの順守を求め、輸出を促進する。その目的は国内の極端な外貨不足と資本不足を補うことである。ちなみに、中国では、1994年まで人民元と同時に外国人専用の外貨兌換券(FEC)が発行され、実質的な一国二通貨の体制だった。1994年に外貨不足が解消されたのを受け、FECの発行が廃止された。同時に、国営の貿易会社は、石炭と石油などの燃料のほか、工作機械などの資本財も輸入するようになった。中国経済は本格的にキャッチアップしたのだった。
40余年の「改革・開放」において、中国経済のグローバル化でのもっとも重要な出来事は2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟したことである。その意味は、多国籍企業に中国がグローバルルールを順守し、市場を開放するメッセージを発信することにある。それを受けて、多国籍企業をはじめ外国企業は、中国を生産拠点としてだけでなく、有望な市場としてとらえるようになった。その後、中国にとって幸運な出来事が続いた。2008年に北京オリンピックとパラリンピックが開催された。さらに、2010年に上海万博が催された。これらの国際イベントに関連するインフラプロジェクトによる建設は中国の経済成長をさらに押し上げていった。
図1 北京市、上海市と広州市の最低賃金の推移
資料:北京市、上海市と広州市の発表に基づいて筆者作成
図1に示したのは、中国主要三大都市(北京市、上海市と広州市)の最低賃金の推移である。2000年以降、三大都市の最低賃金はほぼ毎年10%ずつ引き上げられた。このことは、中国の廉価な労働力という比較優位を徐々に失っていることを意味している。しかも、2007年に「労働契約法」が成立し、2008年1月1日に施行された。それまで、中国に進出した外国企業による出稼ぎ労働者の恣意的な解雇や、社会保険に加入させないなどの対応が多く報告されていた。2008年以降、労働者の権益を守るための労働契約法が成立したことで、企業は労働者を恣意的に解雇できなくなった。同時に、社会保険に加入させないと違法になってしまった。これは、企業にとってのコスト増となった。
図2に示したのは、1980年から2019年までの中国の実質GDP伸び率と一人当たりGDPの推移である。2007年以降、一人当たりGDPの拡大とは反対に、実質GDP伸び率は明らかに減速するようになった。2019年、中国の一人当たりGDPは10,264ドルに達し、はじめて1万ドルを超えた。しかし、中国の一人当たりGDPがこのまま2万ドルを超えるようになるには、多くの課題をクリアしなければならない。
図2 中国の実質GDP伸び率と一人当たりGDPの推移(1980-2019年)
資料:CEIC
繰り返しになるが、中国の一人当たりGDPは1万ドルを超えたことで中所得国の罠を回避したといえるかもしれないが、このまま先進国になるには、たくさんの構造的な問題をクリアしなければならない。まず、中国の労働力はもはや廉価でなくなった。安い商品を大量に生産して輸出する従来の成長モデルはこれから機能しなくなる。すなわち、中国は産業構造の高度化を、時間をかけて実現していかなければ、先進国に仲間入りすることができない。
そして、中国で生産年齢人口がすでに減少している現状において、人口ボーナスはすでにオーナス(重荷)になっている。労働集約型製造業の発展を頼りにする従来の成長モデルを資本集約型製造業に切り替えていくことが必要である。そのために、イノベーション(技術革新)を推進しなければならない。
さらに、イノベーションを推進するには、企業が本気に研究・開発に取り組むようにインセンティヴ(動機)を付与する必要がある。重要なのは、特許などの著作権を法的に保護することである。
これらの諸問題を解決するためには、政府の役割も重要だが、基本的に市場の役割に対して中心的に取り組んでいかなければならない。習近平政権は国有企業をより大きくより強くしようとしている。この考え方は明らかに市場経済に逆行するものである。図2に示した2007年以降の経済成長の減速は中国経済そのものに起因するというよりも、政府が必要以上に経済に介入した結果といえる。それまでの経済成長は市場の活力によるものである。これからの市場の活力を生かすことができれば、中国経済が先進国に仲間入りすることは不可能ではない。重要なのは、decentralization(地方分権)とderegulation(規制緩和)である。政府が経済への介入を強めれば強めるほど、中国経済の活力をかえって殺してしまうことになる。