上編では、これまでの20年間のグローバル・バリュー・チェーン(Global Value Chains: GVC)上の米中関係を回顧し、その発展経緯を「協調>競争」、「競争>協調」、「対立>競争>協調」と言った三段階に分けて論を展開し、米中対立の背後にある両者の矛盾点をまとめた。日本はGVCに深く関与する国として、眼前の米中対立を決して対岸の火事と捨て置くべきではない。続く下編では、ポストコロナ時代において、GVCの観点から、日本が直面する難局とあるべき対応を以下の三点に絞って考えてみたい。
「米中の完全なデカップリング」対「米中の部分的デカップリング」
まず、米中対立の激化によるGVCの安定性と脆弱性の両側面を充分に認識すべきである。完全な米中デカップリングは現時点では考えにくい。GVCの発展は、技術の普及に伴う国際分業の不可逆的な大潮流である。米中関係は既にGVCの隅々にまで複雑に絡み合っており、無理に分断すれば、皮膚と筋肉はおろか骨まで破壊されるだろう。むしろ、この密接な経済関係ゆえに紛争抑止機能が働き、少なくとも現時点においては、かつての米ソ対立のような危機的状況には至っていないとも考えられる。Alibabaのジャック・マーが警告したように、完全なデカップリングでは「Wars start when trade stops」[1](貿易が停止すれば戦争が始まる)となりかねないのである。事実、米国は前例のない強力な制裁を中国勢通信機器大手Huaweiに加えたが、輸出禁止措置は何度も猶予された。理由はGVCにおけるHuaweiの上流に位置する米国国内サプライヤー、下流に位置する設備利用者の損失を最小限に抑えるためだ。加えて大国間のゲームは、互いが大国であるが故に、被るダメージも計り知れないところがある。いかに派手に戦端を開いても、落としどころを考えているのが大国で、完全なデカップリングはあくまでも相手を妥協させる手段であり、最終目的ではない。しかし、分野ごとに米中間の部分的デカップリングあるいは「One World, Two Systems」化が進む可能性は十分に考えられる。高性能半導体チップはその一例であるが、第四次産業革命の核心技術である5G、AI(人工知能)、IoT(モノのインターネット)等の先端テクノロジーまで影響が及ぶかもしれない。ここで重要なのは、部分的デカップリングがどこまで管理できるかによって、今後のGVCガバナンスの在り方が決まるということだ。
「チャイナ・リスク」対「チャイナ・チャンス」
日本経済の中国への依存度は先進国の間で突出している。2019年には日本の輸出入における対中国の割合がそれぞれ19.1%(14.7兆円)と23.5%(18.4兆円)に達した[2]。今回のコロナ禍により、日系企業の重要拠点である武漢でサプライ・チェーンが寸断されたが、これによって一時的に「チャイナ・リスク」への懸念は高まったと言えよう。2020年4月7日、日本政府は経済安全保障の観点から、生産拠点の国内回帰や多元化を強力に支援する「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」[3]を打ち出した。一方、武漢を省都とする湖北省に進出した日系企業に対するアンケート調査(日本貿易振興機構が2020年5月11-18日に実施[4])によると、「今後の中国湖北省でのビジネス方針」に関し、回答を得られた83社のうち、「規模を拡大する」と答えたのは20%、「当面(1~2年程度)変更する計画なし」が72%であり、否定的な回答は殆ど見られなかった。ここで言えるのは、企業と国では想定するリスクの確率分布がそもそも異なっているということだ。企業は生産現場でのリスク感覚は鋭いが、GVC上において、直接的な取引相手を超えた先々のリスクまで読み取るのは苦手である。そこで、今後は産官学の連携により、充分な強靱性を備えたGVC再建へ向け、「点」ではなく「線=チェーン」でのGVCの「見える化」、そしてGVCの脆弱性診断を行うことが不可欠である。
企業は「チャイナ・リスク」を警戒すると同時に、「チャイナ・チャンス」も見逃さないだろう。2019年には中国の1人当たりGNI(国民総所得)が10,410ドル(購買力平価では15,320ドル)[5]となり、発展途上国から先進国の所得ランクへと移行しつつある(2018-2020年について国連と世銀の基準による両者の境界線は12,235米ドルである)[6]。事実、米国商務部の統計に基づく推計[7]によれば、2017年に米国企業の対中国売上総額は、同年の中国企業の対米売上総額を上回った。筆者の計算[8]では、2016年において、中国の日系企業の現地売上総額が中国の対日本輸出総額を上回っている。更に、外務省の調査[9]によると、2018年10月1日現在、中国に進出した日系企業拠点数は33,050(世界シェアの約42.6%)に達している。米中対立は長期化するとは言え、中国は中長期的に、中間財のみならず最終財の需要規模でも、「世界の工場」から米国に匹敵する「世界の需要センター」となることが予想される[10]。今後、日系現地法人のGVC戦略は「In China for Japan」あるいは「In China for the world」から、「In China for China」へと大きく転換するものと思われる。
「守り」対「攻め」
GVCの観点からみると、米中両国とも部分的デカップリングに耐え得るほどの充分な戦略的選択肢を国内経済に残している。深刻な打撃をうけやすいのはむしろ、GVC依存度が高く外的ショックを吸収する緩衝材の少ない米中以外の国々である。日本は地震・台風・津波等の自然災害の多い国であると同時に、これまで様々な経済ショックを経験してきたため、企業のリスク管理意識は決して低くないと思われる。しかし、コロナ禍と米中対立といった二重のショックを経験したことはなく、油断せずにしっかりした対応が求められるといえる。そこで、日本にとって自分の立場をどう理解するかが重要である。右手には米国、つまり価値観の近い最重要同盟国、最大の海外直接投資先、二番目の貿易相手国がある。左手には中国、つまり引っ越しすることのない隣人、最大の貿易相手国、四番目の海外直接投資先がある[11]。一見、日本は米中対立の板挟みという辛い立場であるが、見方を変えれば、日本は米中間の天秤の傾きを左右する、あるいは対立を緩和させる緩衝帯のような重要な存在でもある。むろん、日本は「米中の変」を静観し、「不変を以って万変に応ずる」といった防御的なスタンスもあり得るが、むしろ、米中対立の従属変数ではなく、独立変数として自由貿易の堅持に積極的に関与し、GVCの安定・安全・公平に資する国際ガバナンスの立役者となることが期待される。
GVCの観点から、ポストコロナ時代の国際ガバナンスの行方を展望すると以下の通りになる。
- 米国は、政権交代いかんに関わらず、絶対的利得より相対的利得をもっと重視する国となり、対中強硬路線を崩すことはない。
- 中国は、価値観的に「先進国」ではなく、国力的に「途上国」でもない異質な存在と思われるが、「世界の工場」から最大規模の「世界の市場」へ変貌することが確実視される。
- GVCは、米中持久戦のもと、管理された「部分的デカップリング」へ向かう。
- 経済のグローバリゼーションは不可逆的であるが、地域化・多元化へ向かう。
- 日・欧・ASEAN連携は米中対立による最悪な事態を回避する最も重要な力となる。
最後に、GVCに関わる個人・企業・政府の心構えについて、数学者のJohn Allen Paulosの一言を借りて本稿の結びとしたい。「Uncertainty is the only certainty there is, and knowing how to live with insecurity is the only security」(不確実性だけが唯一確実なことであり、不安と共にある術を知ることこそ唯一の保障である)。
(本稿の内容は筆者の個人的見解であり、所属機関の見解を示すものではありません。本稿の執筆にあたって、日本貿易振興機構・アジア経済研究所の上席主任調査研究員の猪俣哲史氏、主任調査研究員の箱崎大氏、東北大学名誉教授の安藤朝夫先生からは貴重なコメントを頂戴し、また日本語の監修もしていただき、感謝致します。)
[1] Tony Yoo, “JACK MA: ‘If trade stops, war starts’”, Business Insider Australia, Feb 6, 2017. (https://www.businessinsider.com/jack-ma-if-trade-stops-war-stars-2017-2)
[2]内閣官房日本経済再生総合事務局、「基礎資料」、2020年3月。(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai36/siryou1.pdf)
[3] 内閣府、「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策~国民の命と生活を守り抜き、経済再生へ~」2020年4月7日。(https://www5.cao.go.jp/keizai1/keizaitaisaku/2020/20200407_taisaku.pdf)
[4] 佐伯岳彦・片小田廣大、「湖北省進出日系企業、操業完全再開約7割も駐在員の復帰が課題」、「ジェトロビジネス短信」、2020年5月26日。(https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/05/b51893bfb03f81a3.html)
[5] International Monetary Fund, “World Economic Outlook Database”, April 2020 Edition. (https://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2020/01/weodata/index.aspx)
[6] 世銀と国連に関する発展途上国と先進国の分類については、熊谷聡(2018)をご参照。(熊谷聡、「発展途上国と先進国を分ける基準って何ですか?」、『IDEスクエア』、2018年9月;http://hdl.handle.net/2344/00050475)
[7] Zhiwei Zhang, Yi Xiong, Xinyu Ji, “The US-China Trade War Is Based on Misleading Statistics,” VoxChina, July 11, 2018. ( http://voxchina.org/show-52-90.html)
[8] 2016年中国の日系企業の現地売上総額は2,009億米ドルであり、同年の中国の対日本輸出総額の1,566億米ドルを上回る。(経済産業省2019年版『通商白書』、世銀統計等により計算)。(https://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2018/pdf/2018_hombun.pdf)
[9] 中国の日系企業拠点数については、外務省2019年版「海外在留邦人数調査統計」をご参照。(https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/page22_000043.html)
[10] Hao Xiao, Bo Meng, Jiabai Ye, Shangtong Li (2020), “Are Global Value Chains Truly Global?” Economic Systems Research. (https://doi.org/10.1080/09535314.2020.1783643)
[11] 日本の直接投資先国の順位については、日本貿易振興機構の統計資料「日本の直接投資(残高)」に基づく。(https://www.jetro.go.jp/world/japan/stats/fdi.html)