・「異次元緩和」の実験とその挫折 ・YCCという名のステルス正常化 ・正常化後に残された歪み ・コロナ対応と今後の展開 |
安倍前首相の辞任会見以来、アベノミクスの「第一の矢」として展開されてきた日本銀行の金融緩和の功罪について、改めて問われる機会が多くなった。筆者自身は、当初「異次元緩和」と呼ばれた実験的な金融政策の効果と限界について、4年前の著書『金融政策の「誤解」』(慶應義塾大学出版会)でまとまった見解を示したが、その後日銀の金融緩和は大きく変質したと考えている。本稿では、この「変質」とその後に残された「歪み」に焦点を当てながら、約7年半アベノミクスと併走してきた日銀の金融政策について振り返ってみたい。
「異次元緩和」の実験とその挫折
「異次元緩和」は、「マネタリーベースを2倍にすることにより、2年程度で消費者物価上昇率2%を達成する」という勇ましい触れ込みの下、2013年の4月に開始されたが、具体的にどういうメカニズムで2%目標が達成されるか、は必ずしも定かでない実験的な政策であった。当初、金融市場やマスコミでは「大量の国債購入によってマネタリーベ-スを増やせば、マネーストックが増えて物価も上がる」というシンプルな貨幣数量説に基づく理解が一般的だった。しかし、金利がゼロ制約に達した状況ではそうしたメカニズムは働かないことは経済理論の常識であり、黒田総裁を含め日銀のスタッフ達は当然そのことを理解していた。上掲拙著で筆者が述べた観測は、「日銀は複数の均衡を持つモデル[1]を想定し、マネタリーベース急増といった大きなショックを与えることで、デフレ均衡から良い均衡へのジャンプの可能性に賭けた」という理解であった。あるいは黒田総裁自身は、「合理的期待均衡の下では、インフレ期待は中央銀行のインフレ目標と一致するはず」というニューケインジアン経済学の信念により強くコミットしていたのかも知れない。
ただ、いずれの場合でも政策ショックなりインフレ目標へのコミットメントなりが現実のインフレ率に影響を及ぼすルートとして、為替レートの円安に期待していたことは間違いないだろう。実際、アベノミクス前の為替レートは1ドル=80円程度の過度の円高であったため、大きなショックを与えれば円安に動く可能性は十分にあったからである。そして円安が実現すれば、それ自体がインフレ率を高めるだけでなく、輸出の増加を通じて景気も好転する。さらに企業収益の改善が賃金の上昇につながれば、円安に伴う一過性の輸入インフレが持続的な物価上昇に転化する可能性もあった。
しかし、この実験は目論見通りの成果をもたらすことはなかった。確かに大幅な円安は実現し、株価も上昇したが、円安でも輸出数量が大きく増加することはなかった。そして、それ以上に重要なことに、企業収益の改善が賃金上昇に結び付かなかったからである。消費者物価上昇率は、輸入インフレによって14年春に+1.5%まで上昇したが、それがピークで2%に向かって上昇することはなかった。物価連動国債の利回りから計算したインフレ期待も、一時は上昇したものの現在はゼロ近傍まで低下している。日銀は14年10月に量的緩和の再拡大を試みたが、為替市場や株式市場は「黒田バズーカⅡ」と歓迎したが、実体経済に大きな影響を与えることはなかった。その一方で、14年の追加緩和以降の年間80兆円という長期国債の購入ペースを続けると、国債発行残高に占める日銀保有分の比率が急速に高まり、担保不足などの形で金融市場の機能に障害を及ぼす懸念が高まっていった[2]。
YCCという名のステルス正常化
このように、15年頃には「異次元緩和」の限界が明らかになり、日銀も当然そのことを認識していた。その中で、16年初に中国経済への不安を機に円高・株安が進むと、日銀が選択したのはマイナス金利の導入だった。通常、金利はマイナスにならないと考えられているが、ごく小幅であれば中央銀行の当座預金にマイナス金利を付すことは可能である[3]。日銀はマイナス金利が円安につながると期待したのだろうが、リスクオフ気分が蔓延する中で直前まで否定していたマイナス金利を導入した結果、市場はさらなる円高・株安で反応し、マイナス金利政策は「失敗」の烙印を押されることとなった。
こうして量的緩和は限界に達し、マイナス金利の道も閉ざされた後、日銀が次に選択したのは、短期間での2%目標達成を諦め、環境の好転を待つ持久戦であった。もちろん、近い将来の2%達成は無理だと表立って口には出せない以上、日銀はこれまでの金融緩和の「総括的検証」を行なって、それに基づいて政策枠組みを転換すると予告した。そして、16年9月に公表された「総括的検証」の最大のポイントは、インフレ期待はforward-lookingではなくbackward-lookingだと認めたことだった。これは、インフレ目標へのコミットメントを強めても、実際に物価が上がるまでには時間が掛かることを意味するから、2%目標達成には持久戦を覚悟する必要があると述べたに等しい。
一方、新たに導入された政策枠組みは、マネタリーベースという量をターゲットとした量的・質的金融緩和(QQE)に替えて、長期金利という金利をターゲットとするイールドカーブ・コントロール(YCC)であった。同時に、インフレ率が安定的に2%を超えるまでマネタリーベース拡大を続けるというオーバーシュート型コミットメントを示すことで、日銀はこれを金融緩和の強化であるかのように装った(従来の量・質に長期金利を加えた「3次元緩和」といった説明も行なわれた)[4]。だが長期金利ターゲットなら、ターゲットが満たされる限り、必ずしも大量の国債を買い続ける必要はない。しかも、この時示された長期金利の誘導目標は、10年物国債の利回りで「ゼロ%程度」であり、当時の10年国債金利がマイナスだったことを考えると、これが金融緩和の強化でなかったことは明らかである。
結局、YCCとは2%を中期目標に位置付け直した持久戦体制であり[5]、国債購入ペースを緩めることで金融市場の機能障害を防ぐ正常化路線であった。これは、14年の追加緩和後一時80兆円を超えていた日銀の長期国債保有の年間増加額が10~20兆円まで低下して行ったことが鮮明に示している。ただし、正常化を決して口に出すことのないステルス正常化であった。
図 日銀保有国債(前年差、兆円)
正常化後に残された歪み
以上のように、日銀の金融政策は既に4年前から持久戦体制、ステルス正常化路線に転換していたが、この持久戦の構え自体は安倍政権も容認していたとみられる。事実、安倍首相は昨年の国会答弁で「2%の物価安定が一応の目的だが、本当の目的は完全雇用であり、そういう意味で金融政策も含め目標は達成している」と述べているからである。しかし、超低金利の長期化に伴う金融機関、とくに地域金融機関の収益悪化や、いずれは迎えるだろう「出口」の困難を別にしても、現在の日銀の金融政策には、アベノミクス「第一の矢」として安倍政権と一体になって金融緩和を進めてきた結果生じた、避けがたい歪みが残されていると筆者は考える。
その第一は、円安・株高の自己目的化である。前述の通り、日銀の本来の戦略において、円安・株高はデフレから脱却し2%目標を早期に達成するための起爆剤=手段の位置付けであった。しかし、安倍政権は円安・株高を雇用の改善と並ぶアベノミクス最大の成果と強調するようになる。この結果、市場で円高・株安が進み始めると、日銀にはこれを食い止める役割が求められるようになったのだ。円高阻止ならばマイナス金利の深掘りが素直な対応だが、16年1月の経験からマイナス金利の効果に懐疑的になっていた日銀は、ETF(上場投資信託)購入枠の拡大を繰り返すこととなった。ETF購入については、その効果が検証されていない一方、①満期がないため、国債に比べても「出口」が難しい、②株価形成に歪みをもたらす、③コーポレート・ガバナンスの観点からも悪影響が考えられる、といった多くの問題が指摘されている[6]にもかかわらず、である。その結果、金融の量や金利というオーソドックスな面では正常化が指向される反面、ETF購入といった変則的な手法が拡大するという極めて歪な金融緩和の姿となっている。
第二は、市場とのコミュニケーションの問題である。先に、YCCの導入の際、実態は正常化であったのに金融緩和の強化のように装ったと述べたが、その後も表現(言うこと)と実行(やること)の乖離は繰り返されている。例えば昨年の秋も、政策決定会合後の公表文や黒田総裁の記者会見において、何度も追加の金融緩和が強く示唆されたため、市場関係者には緊張が走ったが、結局、追加緩和は見送りとなった。その背後には、異次元緩和のスタート時に「2年で2%」と大見得を切ってしまったため、2%を達成できないまま正常化とは言出しにくいという問題があるのはもちろんだ。だが同時に、日銀内に首相官邸から送り込まれた「リフレ派」政策委員を抱えていることも少なからず影響したとみられる。絶えず追加緩和(とくに量的緩和)を主張する彼らの同意を得ようとすると、日銀からの発信には金融緩和バイアスが掛かるのである。市場関係者はその点を十分理解しているため、今のところコミュニケーションの混乱が現実に大問題となっているとは思わないが、将来政策の方向転換が必要となるような場合には、日銀からの発信が市場から信頼を得ていることが極めて重要になるという点は強調しておく必要があろう。
コロナ対応と今後の展開
コロナ・ショックに対し日銀が取った政策は、市場へのドル資金供給やETF・REIT(不動産投資信託)の購入枠大幅拡大といった非常時対応を別にすると[7]、その柱は従来「80兆円程度」としていた長期国債の購入額を無制限としたことと、政府の無利子・無担保融資に歩調を合わせた企業の資金繰り支援策(通称コロナ・オペ)を導入したことである。この結果、「日銀はますます超金融緩和の深みにはまり、そこから抜け出せなくなった」などと評されることが多いが、現実には持久戦・正常化路線は大きく変わっていないと筆者は理解している。まず長期国債の購入については、購入の上限を撤廃したとは言え、10年物金利がゼロ近傍で推移する中、先のグラフが示すように現実の購入額は殆ど増えていない[8]。正常化路線はまだ続いているのである。
一方、コロナ・オペについては、日銀は「筋の良い」政策と考えているのではないか。まず第一に、単なる量的緩和と違って、現在の局面での企業の資金繰り支援には、倒産や失業の防止などの明確な効果が期待できる。第二に、長期国債やETF購入と違って、将来の値下がりによって国民負担となるリスクがない[9](オペの対象は金融機関であり、金融機関の融資には政府の信用保証が付されている)。第三は、マイナス金利政策の正常化の性質を持つことである。事実、コロナ・オペによる資金供給に+0.1%の付利をしていることもあって、今ではプラス金利が付される基礎残高が200兆円超と、マイナス金利適用の政策金利残高(こちらは縮小されて僅か5兆円程度)を圧倒的に上回り、マイナス金利政策はかなりの程度形骸化している。
では、菅政権において金融政策はどう変わるのか。新政権の経済政策の全貌が明らかでない現状、はっきりしたことは言えないが、少なくとも当面大きな変化はないだろうと筆者は考えている。まず、景気の現状から考えて、金融緩和の継続は当然である。政府が企業金融対策を強化する場合には、コロナ・オペの規模も拡大されるだろう。それでも上記の通り、日銀の持久戦・正常化路線は維持される可能性が高い(財政赤字が拡大しても、少なくとも当面は長期金利が急上昇するとは思えない)。一方で、これまでの金融緩和の歪みも新政権に引き継がれるのではないか。例えば、菅新首相は安倍前首相と同様に円安・株高指向が強いと言われており[10]、今後も円高・株安局面では日銀が何らかの対応を迫られる可能性がある。また新政権では、政策委員へのリフレ派の登用は抑制されるだろうが、その影響が現れるのはまだ暫く先になる。
[1] よく知られた論文として、セントルイス連銀ブラード総裁によるJames Bullard [2010]:“Seven faces of ‘The Peril’”, Federal Reserve Bank of St. Louise Review https://files.stlouisfed.org/files/htdocs/publications/review/10/09/Bullard.pdf がある。
[2] このほか当時は、2%目標が達成されて短期市場金利を引上げられると、保有国債利回りとの逆鞘によって日銀が巨額の損失を蒙ることが懸念されていた。この点に関しては、前掲拙著のほか藤木裕・戸村肇[2015]:「『量的・質的金融緩和』の出口における財政負担」、TCER Working Paper SeriesJ-13、深尾光洋[2015]:「量的緩和、マイナス金利の財政コストと処理方法」、RIETIディスカッションペーパーなどを参照。この問題の本質は現在も変わっていないが、今では2%目標は当分実現しないとの見方が一般的となっているため、関心が低下している。
[3] マイナス金利に限界を画するのは、現金の存在である。現金は常にゼロ金利だから、マイナス金利政策で預金金利が負になっても、預金者は現金を引き出せばよいからである。このため、キャッシュレス化が進んだ北欧等ではある程度のマイナス金利が可能だが、現金社会の日本ではごく小幅のマイナス金利だけが可能と考えられている。 逆に言えば、キャッシュレス化を完全に進めれば、マイナス金利に制約は無くなる。こうした観点も含め、キャッシュレス化の推進を唱えているのは、ハーバード大のロゴフ教授らである。ケネス・ロゴフ[2017] :『現金の呪い』(日経BP社)参照。
[4] 「総括的検証」および政策枠組み転換の詳細と評価については、筆者がその直後に公表したコラム「日銀の『総括的検証』を読み解く」を参照。https://www.fujitsu.com/jp/group/fri/column/opinion/201610/2016-10-2.html
[5] その後、日銀が「展望レポート」で示す2%目標の達成時期が何度も先送りされ、ついには達成時期を示すことを止めてしまったことが注目されたが、これはYCC導入時点で選択されていた持久戦路線の表れであった。また、17年頃の日銀は、超低金利を長期間続けると、徐々に経済の成長力が高まり、いずれは物価上昇につながるという「高圧経済」論をしきりに唱えていたが、これも同様に理解できる。
[6] この点に関しては、大村敬一[2016]:「ETF買い入れの功罪」、『黒田日銀:超緩和の経済分析』(日本経済新聞出版社)所収を参照。
[7] ETF等の増額については、従来と同じ対応とも言えるが、3月頃の市場の大混乱を考えると、非常時対応の側面が強かったとみられる。ただ、そうであれば年間購入額の恒常的な増額ではなく、短期集中的な購入の方が適切だったのではないか。とくに、現在の景気と株価の乖離(この点については、本コラム第1回「景気と株価の乖離をどう考えるか」を参照)を踏まえると、そう感じられる。
[8] 現実の国債購入が10~20兆円まで低下しても、日銀が「80兆円程度」という、あまりに現実から乖離した表現を残していたのは、これを除いた時に市場が円高・株安で反応するリスクと、リフレ派委員の反対を意識して身動きが取れなかったためと思われる。市場からは、「コロナによる市場の混乱をきっかけに、日銀はうまく80兆円を厄介払いした」という皮肉な感想も聞かれる。
[9] 前掲拙著でも強調したが、「国民から選ばれた代表でもない中央銀行が将来国民負担となるような政策を行なうことが許されるのか」という点が、非伝統的金融緩和が抱える最もシリアスな問題である。
[10] この点については、軽部謙介[2020]:『ドキュメント・強権の経済政策』(岩波新書)を参照。同書には、購買力平価比かなりの円安水準でも、首相官邸が日本単独での為替市場介入を目指した(結局は実現しなかったが)という驚くべき記述がある。