改革の哲学とデジタル政府の重要性
新型コロナウイルス感染拡大が日本経済や世界経済に大きな影響を及ぼし始めている。先般(4月14日)、国際通貨基金(IMF)は、「大恐慌以来の経済悪化」となる懸念を表明しながら、「世界経済見通し」(World Economic Outlook)を改定し、2020年における世界経済の成長率予測を▲3.0%に引き下げた。
このような状況の中、アメリカではトランプ大統領が現金給付(成人の国民1人当たり最大13万円程度)を行うことを明らかにし、速やかに、内国歳入庁(IRS)が個々の口座(納税者が確定申告に利用した銀行口座)に直接振り込む予定だ。日本でも政府が4月7日に「緊急経済対策」を取りまとめて閣議決定したが、その際に最大の争点となったのは「現金給付」の範囲や給付のスピードである。
この問題点については様々な議論があるが、アメリカやオーストラリア等の諸外国と比較して、迅速かつ的確に給付ができない理由についても、我々は理解を深める必要がある。
理解のヒントは、3月下旬に出版した拙著『日本経済の再構築』(日本経済新聞出版社)の第8章にある。第8章では「改革の哲学」や「デジタル政府」などの重要性を説明しており、改革の哲学として以下の3つの哲学を提案している。
<哲学1> まず、リスク分散機能と再分配機能を切り分ける。その上で、真の困窮者に対する再分配を強化し、改革を脱政治化する <哲学2> 透明かつ簡素なデジタル政府を構築し、確実な給付と負担の公平性を実現する(情報通信技術(ICT)などの最先端テクノロジーも利用し、透明かつ簡素な政府を構築するとともに、時間や場所を問わず、個々のニーズに応じた最適な形でのプッシュ型・行政(社会保障を含む)を推進する) <哲学3> 民と官が互いに協力して新しい「公共」を創る(複合的かつ複雑なリスクに対応するため、これまでの官と民の固定的な役割分担を超え、民間主導でも多様かつ柔軟な公共の担い手などを創出可能とする枠組みを構築する) |
迅速かつ的確な給付に関係するのは、上記の哲学のうち「哲学2」であり、「時間や場所を問わず、個々のニーズに応じた最適な形でのプッシュ型・行政(社会保障を含む)を推進する」という部分が重要な意味をもつ。
日本では、2016年1月から「マイナンバー制度」が動き始めているが、それと同時に「マイナポータル」というシステムも2017年11月から試行的運用を開始している。
時々誤解があるが、マイナンバー制度において、「マイナンバー(個人番号)」と「マイナンバーカード(個人番号カード)」は異なる仕組みである。マイナンバーは、日本国内の全住民に付番される12桁の個人番号をいい、本人確認は「番号確認+身元確認(例:運転免許証)」で行われる仕組みになっている。また、法人にも13桁の法人番号が付与され、法人番号は誰でも自由に利用できるが、マイナンバー(個人番号)は、マイナンバー法に定める以外の個人番号の収集・保管が禁止されている。
これに対し、マイナンバーカードは、個人の申請により交付される顔写真付きカードをいい、マイナンバーの本人確認(番号確認+身元確認)を1枚で行うことができる仕組みである。カードには、マイナンバー(個人番号)を使わずに電子的に個人を認証する機能等(ICチップ)を搭載している。カードを利用せず、「指紋認証」などの最新テクノロジーで本人確認を行う方法についての議論もあるが、そのエラー率が1%の場合、1億人の人口では100万人もエラーが発生する可能性があり、慎重な検討が必要となる。
また、マイナポータルとは、「政府が運営するインターネット上のサービスで、自宅のパソコンやスマホ等から、行政機関が保有する自分のマイナンバー関連情報や情報連携により行政機関間でやり取りされた記録の確認のほか、地方公共団体の行政サービスの検索やオンライン申請などが行えるサイト」をいい、別名「情報提供等記録開示システム」という。
現在のところ、巨額の開発予算を投じている「マイナポータル」の利用は低調であり、2020年3月時点でマイナンバーカードの交付実績も日本の全人口の約15.5%しかない。
デジタル政府の本当のコアは「プッシュ型・行政サービス」
では、デジタル政府の先進国はどうか。例えば、「世界で最も簡素で効率的な行政」の実現を目標に、スウェーデンでは2008年に政府が「The new Swedish action plan for a modern eGovernment」という行動計画を発表し、様々な試みを展開している。
このうち、スウェーデン政府が最も力を入れてきたのが、「eID」を基盤とする「デジタル政府サービス」である。「eID」は我が国のマイナンバー制度、「デジタル政府サービス」はマイナポータルに類似するがその中身や質は全く異なり、スウェーデンでは、オンライン上で認証・署名がeID で簡単にでき、時間や場所を問わず、「確定申告」「運転免許証の申請・更新」「児童手当」など9割以上のサービスがネット上で対応可能になっている。
デジタル政府の本当のコアは「プッシュ型・行政サービス」であり、社会保障の分野などと最も関係が深い。マイナポータルを利用すれば、行政がその利用者にとって最も適切なタイミングに必要な行政サービスの情報を個別に通知することができるが、プッシュ型・行政サービスとは、このような方法で行政側から能動的に提供するサービスをいう。
従来型の行政は「プル型」で、国民が行政側に相談や申請をしてはじめて、行政手続き等がスタートする仕組みであり、行政手続き等のアプローチの起点が国民側にあるが、「プッシュ型」は「プル型」の逆の仕組みでアプローチの起点が行政側にある。
もっとも、それを可能にするためには、利用者である国民に、マイナポータルに必要な情報を事前に登録してもらう必要がある。その際、プッシュ型の情報提供や給付を行うためには、銀行口座を含む個人情報とマイナンバーを紐付けする必要もあり、それら登録を義務付ける。
現状では、制度改正したために受けられる給付や減税を気づかずにいるケースも多いが、利用者の年収や年齢、家族構成や配偶者の年収、振込み先の銀行口座などを事前に登録しておけば、年収や年齢を条件とする手当が制度改正で新設された場合、給付額の通知や銀行口座への振込みなどをスムーズに行うことができ、社会保障関係の給付や税制上の還付を含め、申請漏れで本来は受給可能な手当を受給し損ねる事態も回避できる。このため、登録しなければ給付しないとする検討も必要だろう。
これは、デジタル政府がセーフティネットとしても機能することを意味するが、今回の新型コロナウイルス感染拡大の対策でも利用できる。例えば、オーストラリアでは、専用サイト「Affected by coronavirus (COVID-19)」から申請し、「myGov account」等を利用することで現金給付を受け取ることができる。
今回の緊急事態に対し、日本でもデジタル政府の構築が進み、マイナンバーやマイナポータル等で、タイムリーな所得情報を把握できる仕組みが存在すれば、迅速かつ的確に現金給付が実行できたはずである。平時のうちに備えができなかったことが悔やまれるが、いまからでも「日本経済の再構築」に向けた議論を開始することが望まれる。