政府は2020年5月25日に新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言を全国で解除したが、社会活動・経済活動の再開に伴い、東京都を中心に再び感染が拡大しつつある。
感染状況によっては再び外出制限や営業の自粛要請を出すことも考えられるが、その場合の経済的損失は計り知れず、倒産する中小企業も急増する可能性がある。実際、2020年版の中小企業白書(2020年4月20日閣議決定)では、「宿泊業・飲食サービス業では、今後半年間で資金繰り難が深刻化する可能性」を指摘している。また、2018年度の法人企業統計調査(財務省)によると、資本金1000万円~5000万円の中小企業が保有する現預金は運営コストの約3か月分しかない。
経済学の知見を活用しながら、通常の社会活動・経済活動に近い状況を継続することはできないだろうか。この問題の対応には様々な叡智を結集する必要があるが、「情報の非対称性」の解消が最も重要になると考えている。
現在のところ、日本の確認感染者数は21868人(2020年7月13日時点)であり、そもそも、感染していない人々の方が多いはずだ。にもかかわらず、多くの人々に外出制限や自粛が要請される理由は何か。それは、感染の有無に関する「情報の非対称性」が存在するからである。また、我々も自分自身の感染の有無を判断できないケースも多い。だから、外出制限や自粛により、他人との接触を減少させようとする。しかし、通常の経済活動を再開するとき、テクノロジーの活用により、我々がお互いに感染の有無について判別がついたら、状況は劇的に変わってくる。
このため、アメリカ経済学会で重鎮のニューヨーク大学のポール・ローマ―教授(ノーベル経済学賞)は1日2000万件の検査を提言している(Romer, 2020)。また、イギリスの感染症学者チーム(Peto, et al. 2020)は1日1000万件、ロックフェラー財団(Allen, et al. 2020a)は3000万件/週、ハーバード大学の倫理センター(Allen, et al. 2020b)は1日500万件以上の検査を提言している。また偶然だが、かなり早い時期(2020年5月9日)に、筆者らも「緊急提言 新型コロナ・V字回復プロジェクト」のウェブ提言を構築し、新型コロナウイルス感染拡大の「出口戦略」で、1日1000万件の検査の緊急提言を発表している。
緊急提言の主なメッセージは、「感染拡大の抑制と社会活動・経済活動の両立を図るためにもっとも重要なのは、全国民が希望すれば新型コロナウイルスの感染の状況を定期的(二週間に一回程度)に知ることができ、継続的に陰性の人びとは安心して外出や仕事を再開できるような体制を遅くとも半年以内につくることが、次のステップに進むために最も重要である」というものだ。その後、キヤノングローバル戦略研究所などでも検査体制の拡充に関する似た提言が出ている。
しかしながら、日本においてPCR検査体制の拡充はなかなか進まない。この障害の一つとなっているのが、「偽陽性の問題」に関する国内での論争だ。偽陽性とは「本当は新型コロナウイルスに感染していないのに、検査で陽性と出てしまうこと」をいい、この精度を表す概念として「特異度」という指標が存在する。
特異度とは「新型コロナウイルスに感染していないとき、検査で正しく陰性と出す割合」をいい、一般的に「特異度=1-偽陽性の割合」という関係が成立する。特異度が概ね100%であれば偽陽性は概ねゼロとなる、特異度が99.99%であれば偽陽性はわずか0.01%である。しかしながら、特異度が99%の場合は大きな問題が発生する。
例えば、PCR検査の特異度が99%のとき、偽陽性が1%も存在するため、1400万人(東京都の人口規模に相当)が検査を受けると、感染者が実際はゼロであっても、14万人(=1400万人×1%)が偽陽性という形で陽性反応を示してしまう。確かに偽陽性とはいえ陽性者が14万人も発生すると、医療機関の病床や対応可能な医師などのキャパシティーを超過してしまい、必要な患者に医療が提供できず、医療崩壊を起こす可能性が高い。
このため、日本では「偽陽性の問題」を理由の一つとしてPCR検査の拡充を反対する声も依然として存在するが、検体汚染などのヒューマン・エラーがない限り、PCR検査の特異度は、99%(偽陽性は1%)になることはなく、概ね100%(偽陽性は概ねゼロ)である。PCR検査は筆者の専門外だが、専門家との研究会を重ねて分かった事実である。
この根拠となる、いくつかの事例を簡単に紹介することにしよう。まずは、中国の武漢市の事例である。武漢市の感染は一時的に収束していたものの、2020年5月9日―10日で約5週間ぶりに新たな感染者が見つかったことから、市内の各地区に対して10日間で全市民の検査を実施している。約990万人のうち症状のある感染者はゼロ、無症状感染者が300人であった。「特異度=1-偽陽性の割合」であり、無症状感染者全員が偽陽性としても、偽陽性の割合は0.0031%以下であるから、PCR検査の特異度は99.9969%以上という結果であった。
また、表1は累積死者数が少ない地域の陽性率(2020年7月1日時点)を一覧にしたものだが、偽陽性は感染者数の一部なので、「偽陽性の割合≦陽性率」(※1)という関係が成立する。既述のとおり、「特異度=1-偽陽性の割合」(※2)であり、例えばオーストラリアの陽性率は0.3%であるから、※1と※2より、PCR検査の特異度は99.7%以上であることが分かる。ただ、0.3%の陽性率の中には真の陽性者がカウントされているはずで、PCR検査の特異度はもっと高い可能性がある。
例えば、1日2万件の検査を2回行い、感染拡大中の1回目の感染者数が116人、感染が収束中の2日目の感染者数が4人のケースを考えてみよう。このとき、平均の陽性率は0.3%(=120÷40000)だが、1回目の陽性率は0.58%(=116÷20000)、2回目の陽性率は0.02%(=4÷20000)であり、感染拡大中の検査も含めて特異度を試算すると、真の陽性者もカウントしてしまい、特異度や偽陽性に関する判断を間違う可能性もある。むしろ、感染が収束中のデータから、特異度を試算することが望ましく、それは図表2のデータからも読み取れる。
表2は、一定期間(5月23日―6月18日)でのオーストラリアにおけるPCR検査の陽性率の推移だが、1日2万件前後の検査を実施していても、感染者数が一桁の日も多い。偽陽性が1%も存在すれば、日々、偽陽性のみで200人程度の感染者が出てきてもおかしくないが、そうなっていない。むしろ、図表2のデータから陽性率を計算すると、0.03%前後であり、※1と※2より、PCR検査の特異度は概ね99.97%以上であることが分かる。
以上から、「検体汚染などのヒューマン・エラーがない限り、PCR検査の特異度は概ね100%(偽陽性は概ねゼロ)である」というのが本当の真実であり、「偽陽性の問題」を根拠にしながら、検査体制の拡充に対し、政治的に反対する理由は成立しないことになる。
表1:累積死者数が少ない地域の陽性率(2020年7月1日時点)
(出所)Our World in Dataの「Coronavirus Pandemic (COVID-19) – the data」から作成
表2:オーストラリアにおけるPCR検査の陽性率
(出所)Our World in Dataの「Coronavirus Pandemic (COVID-19) – the data」から作成
(参考文献)
鹿島平和研究所・国力研究会/安全保障外交政策研究会+有志(2020)「緊急提言 新型コロナ・V字回復プロジェクト 「全国民に検査」を次なるフェーズの一丁目一番地に」
Acemoglu, D., Chernozhukov, V., Werning, I., and Whinston, M. (2020) "A multi-risk SIR model with optimally targeted lockdown," NBER Working Paper No. 27102.
Allen, D., et al. (2020a) "National Covid-19 Testing Action Plan Pragmatic steps to reopen our workplaces and our communities," Rockefeller Foundation
Allen, D., et al. (2020b) "Roadmap to Pandemic Resilience," Safra Center for Ethics, Harvard Univers
Peto, J., et al.(2020) "Stopping the lockdown and ending the epidemic by universal weekly testing as the exit strategy"
Romer, P. (2020) "Roadmap to responsibly reopen America"