R-2022-113
・はじめに ・英国・規制ホライゾン委員会 ・カナダ・規制競争力に関する外部諮問委員会 ・日本の現状と課題 |
はじめに
経済協力開発機構(OECD)は、規制政策とガバナンスに関する12項目からなる理事会勧告(2012年)の達成状況をモニターするために2015年から3年ごとに「規制政策アウトルック(概観)」報告書を公表している。そこでは加盟国・地域からのアンケート結果に基づき、ステークホルダー参加、規制の事前評価、規制の事後評価の3つの項目についてそれぞれ、法律(一次法)と規制(下位法令)に分けて加盟国ごとに点数が付与されている[1]。最新の2021年版では「規制政策2.0」という概念が打ち出された[2]。
COVID-19によるデジタルトランスフォーメーションの加速を含む技術革新が社会や産業のあらゆる領域に深い影響を与えつつある中で、これからの規制は、技術革新によって生じるおそれのあるリスクを軽減させなければならない一方で、有用なイノベーション、実験、起業家精神を妨げず、さらには、促進するために設計されるものとされた。これは、公共の利益に資するイノベーションの普及を妨げる不必要な障壁を作ってしまうリスクと、イノベーションが引き起こす可能性のあるマイナス面を軽減することができないリスクに同時に取り組む必要があることを意味する。前者のリスクは機会費用であり気づかれにくいうえに、気づいたときには取り返しがつかないほど産業競争力を失ってしまうかもしれない。後者のリスクは場合によっては、ゲノム編集や気候工学など、社会や個人に不可逆的な影響を与えてしまうかもしれない。そのため「規制政策2.0」には一連の規制管理ツールを、両リスクの間のトレードオフを乗り越えるように適応させることが求められている。具体的には、公務員は非規制手段も含めた潜在的に有用な解決策の全ポートフォリオを考慮する必要があり、規制監督機関もそのように方向づけることが求められる。また、技術革新のスピードに柔軟に対応するため、アウトカム指向の規制、共同規制(co-regulations)、自主規制(self-regulation)の余地を残すルールといったアプローチをより一般的なものにしなければならない[3]。
加盟国・地域へのアンケートの結果、ほぼ半数の国・地域が、省庁や規制当局が、規制がイノベーションへ与える影響を考慮することを支援するなど、イノベーションに配慮した規制に焦点を当てた監視機関を少なくとも1つは持っていると回答したという。さらに、9つの規制監督機関が近年そのスコープを拡大し、新規技術の規制といった新たな分野をカバーしたと回答している。本稿では、そうした規制監督機関と独立諮問委員会をすでに持っているカナダと英国の事例について以下に紹介する。
英国・規制ホライゾン委員会
英国政府は、2019年6月に公表された「第四次産業革命のための規制:白書」の中で、「規制ホライゾン委員会(Regulatory Horizons Council:RHC)」を設置することを約束した[4]。委員会は「技術革新の含意を特定し、その迅速かつ安全な導入を支援するために必要な規制改革について、政府に公平かつ専門的な助言を行う独立専門委員会」[5]とされ、政府に対して定期的に報告書を提出し、その中で英国が未来の産業の中心となるための規制改革の優先順位に関する勧告を行うこととされた。
RHCは、2019年秋にまずビジネス・エネルギー・産業戦略省(BEIS)が新規技術に関して予備的なホライゾン・スキャニング[6]を実施し、500種類のイノベーションのリストを作成した。続いて、外部委託先のSteer-ED社が2019年12月から2020年4月にかけて、5段階のプロセスを経てこれらから20種類に絞った。最後に、規制ホライゾン委員会が20種類の中での優先順位付けを行い、選定された個別技術(核融合エネルギー、医療機器、遺伝子技術、ドローン、ニューロテクノロジー、医療機器としてのAI)に関する報告書を2021年から公表している。報告書では、ステークホルダーへのインタビューを通して、迅速かつ安全な導入を支援するために必要な規制改革について政府への勧告がまとめられている。これらの勧告に対しては政府から回答が寄せられる仕組みになっている。
RHCはまた、2022年6月には、政府が2021年に公表した「イノベーション戦略」における委託への回答である報告書「ギャップを埋める:イノベーションに優しい規制のための原則から実践へ」を公表した[7]。すでにいくつか提案されているイノベーションに資する規制のための原則を実践につなげるための考え方を下記6点にまとめ、それらに関連する12点の勧告を行った。
焦点1:規制はリスクと便益に比例したアプローチを採用すべき
焦点2:規制とイノベーションは倫理とパブリック・エンゲージメント(市民の関与)を包含する必要がある
焦点3:規制は商業的配慮と投資誘因の必要性を考慮すべき
焦点4:規制の設計と実施は、規制の代替的な形態(非規制手段)を考慮すべきである
焦点5:規制は適切なタイミングで行う必要がある
焦点6:規制当局はオープン指向の文化と成長指向のマインドセットを育むべき
カナダ・規制競争力に関する外部諮問委員会
カナダ政府は、2018年の「秋の経済声明(Fall Economic Statement)」において、経済成長とイノベーションを促進するために連邦規制を改革し近代化することを目標の1つに設定した[8]。具体的には、競争力を向上することを規制の目的の1つに定めること、規制内容を常に最新のものに更新すること、「規制競争力に関する外部諮問委員会(External Advisory Committee on Regulatory Competitiveness:EACRC)」を設置すること、「規制イノベーションセンター(Centre for Regulatory Innovation)」[9]を設置すること、効果的な規制を策定・施行するための政府の能力を高めること、勧告に対して即座に行動を起こすことを挙げた。
EACRCは2年間の時限付きで設置され、財務委員会(Treasury Board)議長から8名の委員が指名され、委員長にはカナダ独立企業連盟(CFIB)の上級副社長兼最高戦略責任者(CSTO)であるローラ・ジョーンズ(Laura Jones)氏が指名された。EACRCは2019~2021年の活動期間の間に、規制競争力を高めるためには不必要な負担の軽減とイノベーションの促進という2つのアプローチが必要であるという観点から、4回の勧告を行った。2019年5月には、規制見直しで取り上げるべき分野やテーマについての提言を求められ、デジタル化、クリーンテクノロジー、国際標準の3つの分野を提言した。2019年7月には、規制の累積的な負担額を測定すること、企業に年間1千万ドル以上の費用を課すと予想される規制について有効性と競争力への影響の両方を事後分析するための手法を開発すること、ステークホルダーとの協議や参加の方法を検討すること、農薬規制に関する国際競争力の問題を検討することなどを提言した。その後、コロナ禍でEACRCの活動は中断したが、2020年9月に再開され、2021年1月には、規制イノベーションセンターの業務に関する提言、「競争力レンズ」の実施に向けた実務的な検討事項[10]、「レッドテープ削減法」の見直し[11]に関する提言を行った。
最後に2021年3月には政府全体への提言として、カナダを規制に関する世界のリーダーにすべく、規制イノベーションセンターの能力の強化やEACRC自身の強化などが提言された。そして2021年度予算案(Budget 2021)の中でEACRCのリニューアルが発表され、取り上げるべきテーマとして、COVID19の教訓、規制ストックの見直し、「規制に関する内閣指令(Cabinet Directive on Regulation)」の改正、第一期EACRCによる勧告のモニタリングの4点が挙げられた。これを受けて第二期EACRCは2022年10月にスタートした。委員長は継続で、Laura Jones氏であり、メンバーは多様な観点を代表した7名(3名は更新で、4名が新規)からなる[12]。
日本の現状と課題
英国やカナダと違って、先のOECD勧告と照らし合わせて見た場合、日本では規制の事前評価の仕組みが十分に確立されているとは言い難い。これは日本における規制の政策評価を定めた「行政機関が行う政策の評価に関する法律」が、評価対象を社会や経済への影響の大きさでなく、法律と政令という外形的な基準で決めていたり、規制監督機関と呼ばれる第三者機関の承認を必要とせず、各省庁が「自ら評価する」仕組みであったりと、他のOECD加盟国と運用の仕組みが根本的に異なることに起因している[13]。もちろん、政策評価の推進を担当する総務省においても、規制遵守費用や効果の定量的評価や意思決定の早い段階からの評価書の作成・利用などを呼び掛けてきた[14]が、上記のようなガバナンスの違いにより困難に直面している[15]。規制の事前評価フォーマットにおいては、イノベーションや競争力への影響を明示的に分析・記述する欄はなく、「4 副次的な影響及び波及的な影響の把握」に含まれると解釈できる。近年では公正取引委員会が「競争評価」として、規制が市場における競争状況に与える影響について、規制の事前評価と同じタイミングで「競争評価チェックリスト」を用いて影響を把握する仕組みが構築されている[16]。しかし、ここでチェックされるのは主に競争への負の影響であり、イノベーションを促進したり、国際競争力を高めたり、といった正の影響については明示的には対象となっていない。こうした現状に基づけば、日本においても、英国やカナダの取り組みを参考にして、規制の設計段階から、イノベーション促進という観点から、複雑な規制の仕組みを一本化するなどして社会実装のハードルを下げたり、さらにはイノベーションを促すような仕組みを導入したりする方向での検討が必要な時期に来ているといえるだろう。
[1] 岸本充生「規制影響評価(RIA)の活用に向けて : 国際的な動向と日本の現状と課題」経済系 : 関東学院大学経済経営学会研究論集 275 26-44 2018年11月
https://kguopac.kanto-gakuin.ac.jp/webopac/NI30003274
[2] OECD, OECD Regulatory Policy Outlook 2021, OECD Publishing, Paris, October 06, 2021. https://doi.org/10.1787/38b0fdb1-en
[3] これらの背景については2022年のReviewを参照。岸本充生「規制とイノベーションの新しい関係:障害物から推進力へ」東京財団政策研究所Review、January 28, 2022.https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=3911
[4] U.K.Department for Business, Energy & Industrial Strategy, Regulation for the Fourth Industrial Revolution White Paper, 11 June 2019.
https://www.gov.uk/government/publications/regulation-for-the-fourth-industrial-revolution
[5] Regulatory Horizons Council (RHC) https://www.gov.uk/government/groups/regulatory-horizons-council-rhc
[6] ホライゾン・スキャニングとは、様々な兆候を収集することで将来に起こりうる社会変化のシナリオを体系的に検討する手法のことであるが、近年は、科学技術イノベーションに焦点をあてたものが増えている。
[7] U.K. Regulatory Horizons Council, Closing the gap: getting from principles to practice for innovation friendly regulation, 15 June 2022. https://www.gov.uk/government/publications/closing-the-gap-getting-from-principles-to-practice-for-innovation-friendly-regulation
[8] Government of Canada, Fall Economic Statement 2018. https://www.budget.canada.ca/fes-eea/2018/docs/statement-enonce/toc-tdm-en.html
[9] 「規制イノベーションセンター」は財務委員会事務局の規制問題部門の中に設けられた。
[10] 競争力レンズとは、規制当局が規制策定の際に、規制の効率性だけでなく、経済成長への影響も考慮することを促す仕組みのことであり、委員会は手続きが複雑になりすぎることを懸念し、もう少し時間を掛けて検討することを提言した。
[11] 2015年に、新規規制導入時に既存規制を削減することを義務付けた1対1ルールを世界で初めて法律に明記した。ただし、対象は企業のみで、いわゆるお役所仕事を減らすものではなく、場合によってはむしろ反対に作用した。そこで、制度が対象とする「規制による負担」のスコープを、企業の負担だけでなく、市民が直面する行政負担も含めることを推奨した。
[12] 委員は、無報酬でプロボノとして参加している。必要な場合は旅費と宿泊費が支給される。
[13] 詳しくは脚注1の文献の2.3節などを参照。
[14] 総務省「規制の政策評価の実施に関するガイドライン」 https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/seisaku_n/seisaku_hourei.html
[15] 総務省「規制に係る政策評価の点検結果」 https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/seisaku_n/kisei.html
[16] 公正取引委員会「競争評価」 https://www.jftc.go.jp/dk/kyousouhyouka/170731.html