R-2023-091
はじめに
新しい科学技術を社会実装する、すなわちイノベーションにつなげるためには、その科学技術を安全に公平に利用できるためのルールが必要不可欠である。ルールが明確にならないと、ビジネスを行う上での不確実性が大きくなり、人材や資金を集めることが難しくなり社会実装が進みづらい。ルールの形成を、行政機関や国際機関といった第三者に完全に委ねてしまうことは、時間の面からも内容の面からも自らを競争上、不利な立場に追い込むことにつながってしまう。なぜなら当該技術についての知識を最も多く持っている主体は当該技術の研究開発を行っている彼ら自身であるからである。彼ら自身の持つ知識を前提としなければ適切なルールメイキングは困難である。逆に、ルールを策定する責任のある行政機関や国際機関の側から見ても、科学技術イノベーションのスピードがますます加速する社会においては、どういう科学技術が社会実装に近づいているかについて、最先端の情報を持つことが難しいために、研究開発主体からの最新情報のインプットは必要不可欠である。
従来からのロビイング
こうした状況を前提にすると、特定の研究開発主体が、まだ標準的な方法が定まっていない段階で、自分たちの方式を前提としたルールを行政機関に作らせて、ビジネス上有利な規制環境を築こうとすることは合理的である。場合によっては、安全上や機能上の課題を抱えたまま、そのことを開示せずにルールが策定されるかもしれない。
こうした活動は「ロビイング(ロビー活動)」と呼ばれる。通常、非公式な場で、規制策定に影響力を持つ政治家や官僚に対して、自身の利益に沿った形で働きかけることを指す。ロビイングにはもちろん、公共的な意思決定のための有益な情報を提供し、エビデンスに基づく政策策定に資するという側面を持つ一方で、非公式な場で行われること、金銭の授受が伴いかねないこと、利益誘導につながりうることなど、何らかの規律がなければ民主主義の原則を損なうことにつながる側面も多く持つ。洋上風力発電の入札をめぐって国会議員が受託収賄の疑いで逮捕された事例も記憶に新しい。
近年、大手テック系企業による各国政府に対するロビイングが激しさを増している。米国全体では2023年にロビー活動のために40億ドル以上が支出されており、ロビイストと呼ばれる人は12,000人を超えている[1]。これらの中に新規科学技術に関する案件もかなり含まれていると思われる。
新規科学技術のガバナンスのあり方を考えるうえで、最新の科学技術情報を規制策定主体にどのように情報提供すべきかについてはこれまであまり正面から議論されてこなかった。関連する論点としては、アカデミック寄りの科学的助言(scientific advice)のあり方がある[2]。本稿の対象は、新規科学技術の社会実装に向けたロビイングであり、産業界寄りの技術的助言(technological advice)と整理できるかもしれない。
OECDによる勧告
経済協力開発機構(OECD)は2010年に「ロビー活動の透明性(transparency)及び公正性(Integrity)に関する原則についての理事会勧告」を公表した[3]。公共政策の策定・実施には自由な情報の流通が必要不可欠であることを前提に、規制策定には国民を含むすべての利害関係者が公平かつ公正に参加できることを妨げないような仕組みづくりが提言されている。そのために国民が、誰が何についてロビー活動を行ったかを精査できるようにすべきであるとした。2021年には「21世紀におけるロビー活動:透明性、公正性、およびアクセス」と題する報告書を公表し、2010年に公表した原則の実施における進捗状況を把握し、ソーシャルメディアなどの新しいツールの普及などを含む、ますます複雑さを増すロビー活動について考察した[4]。2020年時点で、オーストラリア、カナダ、英国、米国、EUとEU加盟国などはロビー活動に対する監督組織を設置し、ロビイストやロビー団体の登録簿(registry)などによりロビー活動に関するある程度の透明性を確保していることが記載されている。先に、ロビー活動への支出額やロビイストの人数を示したように、例えば米国では、ロビイストの登録が義務付けられ、議員や官僚との面会の記録の報告といったロビー活動についての様々な規制が存在している。しかし、先進国の中で日本のみがロビー活動に対する取り組みが一切ないことが見て取れる。そのため、日本におけるロビー活動の実態を把握することが困難になっている[5]。
レスポンシブル・ロビイングに向けて
責任ある研究・イノベーション(RRI)という考え方は2010年代の欧州において、新規科学技術の研究開発から社会実装までを広くカバーする概念として提唱された。その特徴としては、研究開発の早い段階から将来起こるかもしれないことを予期し(anticipation)、知識の限界を意識しながら自らの活動や仮定に反省的であり(reflexivity)、様々なアクターの参加の機会を確保し(inclusion)、価値観や状況の変化に応じて形式や方向を変える能力を持ち(responsiveness)、また、オープンであること(openness)や透明であること(transparency)、アカウンタブルであること(accountability)などが確保されていることなどが挙げられる[6]。
新規科学技術の社会実装を、レスポンシブルに(責任をもって)実現するためには、規制を含むルール形成についてもレスポンシブルに(責任をもって)進める必要がある。国内規制当局や標準化に資する国際機関などに技術に関する様々な情報を提供する際に、RRIという価値観のもとで実践するなら、社会に対して起きるかもしれないネガティブな影響を包み隠さず、その不確実性の程度も含め、可能な限り公開の場で、エビデンスとともに最新の情報を提供することになるだろう。こうした行為は、非公式に行われ、利益誘導を連想させる従来型のロビイングに対して、「レスポンシブル・ロビイング」とも呼びうる新しいタイプの実践となりうる。もちろん技術情報などは営業秘密も含むためすべてを公開することはできないし、経済安全保障上の配慮も必要になる場合もあることが予想されるが、ロビイングにおいてもRRIの実践が可能であり、社会から求められているのである。
[1] OpenSecrets. Lobbying Data Summary. https://www.opensecrets.org/federal-lobbying
[2] 有本 建男、佐藤 靖、松尾 敬子、吉川 弘之『科学的助言: 21世紀の科学技術と政策形成』東京大学出版会 (2016年).
[3] OECD (2010). Recommendation of the Council on Principles for Transparency and Integrity in Lobbying. OECD Publishing, Paris, https://legalinstruments.oecd.org/en/instruments/OECD-LEGAL-0379
[4] OECD (2021), Lobbying in the 21st Century: Transparency, Integrity and Access, OECD Publishing, Paris, https://doi.org/10.1787/c6d8eff8-en.
[5] 日本経済新聞「ロビー活動、日本でも透明化を 渡辺安虎氏」エコノミスト360°視点、2023年2月23日.
[6] RRI Tools: project briefing sheet. https://rri-tools.eu/documents/10184/16806/3_RRITools_Project_Brief.pdf/183c8a96-c414-4fab-80b9-31ccecedaa47