加藤創太
東京財団常務理事 上席研究員
文部科学省が3月30 日、同省OBらによる再就職あっせん問題についての最終調査報告を出した。43人もの職員を処分するなど、文科省が組織的にこの件に関わっていたことが改めて明らかになった。
文科省は、政府の「再就職等監視委員会」の調査に対し組織的な隠蔽工作を行おうとしており、今回のケースは非常に悪質だ。厳絡な処分がなされるのは当然である。他方、今回いくら厳しい処分を行ったとしても、いずれ似たような問題は再発すると、誰もが予感しているのではないか。
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官僚の天下り問題はここ20年ほど国民から一貫して厳しい批判を浴び続けてきた。その間、様々な法的措置が打たれてきた。今回の「OBによるあっせん」のきっかけになったのは、第1次安倍内閣(2006~07年)で進められた08年の国家公務員法の改正である。
08年の改正では、現職職員が退職者の再就職をあっせんすることを禁じた。OBによるあっせんは、同法の「隙間」をつく抜け道として考案された。似たようなあっせんは他省庁でも行われていたと聞く。
天下り問題が解決されない一因は、天下りが生じる根本要因を放置したまま、小手先の法的措置で天下りを抑えつけようとしてきた点にある。しかし天下りに対しては、送り出す省庁サイドにも、受け入れる民間企業や各種法人や大学サイドにもニーズがある。そういうニーズが生じる要因を突き詰めないまま対策を打っても、法の「抜け道」探しのイタチごっこが続くだけだ。今回の件を受け、民進党などが省庁OBによる天下りのあっせんなどを禁じる国家公務員法改正案を国会に提出したが、おそらく本質的な解決にはつながらないだろう。
もちろん天下りに厳罰を科すなど強い措置を導入すれば、すべての天下りを根絶できるかもしれない。しかしそのような措置は、官民間の有益な人材移動、つまり受け入れサイドが真に望む有能な人材の「良い天下り」まで阻むため適切ではない。そうした良い天下りと、官庁サイドからの押しつけによる「悪い天下り」を法的に区分することも難しい。良い天下りを認めようとすれば、必ず悪い天下りが入り込む「隙間」ができる。
天下りを適切な範囲に押さえるためにはまず、官民双方で天下りのニーズが生じる要因を突き詰めることが必要だ。省庁サイドからニーズが生じる要因としては「早期退職慣行」の存在がある。同期の一人が次官になる50代後半までに他は全員退職するというこの慣行の下では、天下り先が確保できなければ、官僚は将来の生活に大きな不安を抱えることになる。優秀な若手官僚ならば、50代で省庁から放り出されるのを待たず、自分の市場価値が高い20~30代のうちに霞が関を離れようとするだろう。
日本の転職市場の流動性の低さも、省庁サイドの天下りニーズの要因だ。その転職市場で重宝されるのは専門性の高い人材だが、霞が関は今までジェネラリスト一辺倒の人事システムを運営してきた。専門性のない50代の元官僚が自力で良い職を得るのは非常に難しい。組織的な天下りに頼らざるをえない。
このように天下りは官僚の職業人としてのライフサイクルに組み込まれてきた。この状況のまま天下りを強権的に抑制しようとしても、自分たちの生活がかかっている官僚は、必死に抵抗するか、法の抜け道探しに没頭するかだ。天下りのニーズが生じる要因を取り除いていくことが必要だ。
まずは早期退職慣行の撤廃だ。早期退職慣行には、若い官僚に活躍の場を与えるといった美点もあったが、天下り批判がここまで高まっている中で継続させることはできない。すでに各省庁は、天下り批判や天下り先の減少に伴い、次官の年齢を引き上げ、退職時期を遅らせている。今後60~65歳まで官僚の身分や収入を保証できるようになれば、省庁サイドの天下りのニーズはかなり弱まるはずだ。より根源的な問題は、日本の転職市場の流動性の低さだ。しかし転職市場全体の流動性を高めるには時間がかかる。現時点では、官僚の専門性をみがく人事制度を導入することで、今の転職市場で生き残れる人材を育成することから始めるべきだろう。
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次に、天下りを受け入れる側の企業や各種法人(今回の大学を含む)のニーズを見てみよう。天下り官僚の能力がそのまま天下り先の本業に直接役立つケースもあるだろう。ただ多くの場合、 受け入れサイドは、天下り官僚を受け入れることと引き替えに、政府からの何らかの支援を得やすくなることを期待する。官民間の長期的な貸し借り関係の中で天下り官僚を引き受けているケースも多い。
以前、産業別の政治経済分析をした際、産業別の天下り官僚の数が、その産業の将来のアウトプットと強い負の相関があることが明らかになった。衰退する産業が天下り官僚の大きな受け入れ先となっているのだ。衰退産業の多くは、何らかの形で政府から手厚い支援を受けている。あるいは近い将来に支援を受けたいと考えている。他方、天下り官僚の能力が、受け入れ側の本業に大きく貢献するケースはそう多くないだろう。
今回の件では、早稲田大学は通常では考えられないスピードで文科省の元官僚を採用している。しかし大学の本業である研究・教育の面で、元官僚が早稲田大学の教授陣の中で異例の優遇を受けるほど評価されていたとは考えがたい。
受け入れサイドの天下り官僚へのニーズを減らすには、自由で公正な競争の実現と行政のスリム化が何より有効だ。自由な競争の下では、衰退産業は市場から速やかな退出を迫られる。企業が生き残るには本業の競争力を高める以外にない。大学の場合も、本業の研究や教育で激しい競争をしていれば、研究・教育に重点的に投資せざるをえなくなる。そのとき特権的な扱いを受けるのは、天下り官僚ではなく、突出した研究実績を持つ研究者となるはずだ。
1990年代から文科省を中心に、大学の研究・教育機能の強化を目指した大学改革が積極的に進められてきた。今回のケースは、そういった文科省の各種の施策が、大学間の研究・教育面での競争には向かわず、大学間の文科省との関係強化競争に向かってしまったことを示唆している。実際、大学改革の進展に伴い、天下り教員の数は増えているという。
官僚制は戦後日本の政治経済システムの中枢を占めてきた。天下り制度はその中に組み込まれてきた。天下り問題の解決には、労働市場の流動化、ジェネラリスト中心の人事制度の見直し、自由で公正な競争の実現、行政のスリム化など、戦後日本のシステムを抜本改革することが求められる。逆に言えば、そういう改革さえ進めば、天下りを強権的に押さえつけなくても「悪い天下り」は次第に淘汰されていくだろう。今回こそ、小手先ではない対応を求めたい。
◆英語版はこちら "Getting to the Root of Amakudari: Sweeping Reform Needed to Close the Revolving Door"
(2017年4月16日付『日経ヴェリタス』掲載記事をタイトル他、一部加筆修正)