・内閣支持率が急低下する菅首相の党内支持基盤は強くなく国民の支持が必要。 ・GoToを促進する一方で緊急事態宣言と一貫性のない政策が評価を下げた。 ・健康・安全と経済は二律背反だが、与党内より国民の方向を向くことが大事。 ・非世襲で都市部選出の菅首相は異端で、しがらみのなさを生かし制度改革を。 |
菅内閣の支持率が急速に落ち込んでいる。いくつかの要因が考えられるが、やはり最も大きいのは、コロナ感染症(以下、コロナ)への対応について、有権者の評価が低い点にあるだろう。
首相が政権基盤を維持していくためには、与党内の支持と国民全体からの支持の2つが必要となる。菅義偉首相は無派閥の議員であり、党内の支持基盤は決して強くない。自民党内の最大派閥(細田派)の事実上のリーダーでもあった安倍前首相とは対照的だ。よって政権を安定的に維持するには、国民からの高い支持を確保するか、他の有力派閥のリーダーなどの強い後押しを受けるかが特に必要となる。
しかし与党内の支持を受ける政策と、国民全体から支持を受ける政策とは、ときに大きくずれ、トレードオフ(二律背反)の関係にさえ立つ。自民党は全衆院議席の60%以上を握っているものの得票率は50%に満たないため、自民党内と国民全体との嗜好の中心(中位)はずれる。さらに利益団体政治の問題もある。多数決を原理とする民主主義政治の下においても、「ばらばらな多数」よりも利益団体のような「連帯した少数」が政治的に力を持つメカニズムが政治経済学によって明らかにされてきた。自民党のように長年政権を維持してきた政党には多くのしがらみが絡まっている。
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コロナ対応においても、「健康・安全」「経済」のどちらを優先するかで一定のトレードオフが存在すると言われる(ただ安全を徹底させなければ経済は本格的に回復しないといった面があるため純粋なトレードオフではない)。各国の世論調査結果を見る限り、どの国の国民も一見不合理なほど極端に「健康・安全」を「経済」より重視している。中でも日本国民は、英YouGov社の調査によれば特にコロナへの警戒心が強い(2021年1月時点で調査対象29カ国中1位)。他方、衆院の任期満了が迫る中、自民党内などでは「経済」優先への働きかけは強いだろう。地方の観光業や商工業は自民党の強固な支持基盤である。
こうした中で菅首相は「健康・安全」と「経済」とのバランスをどう取るかの厳しい選択を迫られてきた。これは国民全体からの支持と与党内の支持とのバランスの問題でもある。しかし今のところ菅首相は、その厳しい選択を回避し、追えないはずの二兎を追っているように見える。「勝負の3週間」と国民の警戒感を煽る一方で「GoToキャンペーン」を続け国民の移動・飲食を強力に促進しようとしたことなどが、その象徴だ。しかし国民は菅政権のこうした一貫性のなさを見抜いており、おそらく支持率急落の一因となっている。
党内基盤が弱い上に頼みの支持率が急落し、衆院の任期満了も迫っている。菅政権が今から打てる手は限られており、覚悟を決めて迅速に前に進む必要がある。まずはコロナ対応の一貫性の確保だ。おそらく「健康・安全」の方向に舵を切った方が短期的には支持は得られやすいが、菅首相の真意は「経済」の方向にあるようだ。日本はいまだ死者数、感染者数ともに欧米に比べれば非常に少ないので、経済回復に力点を置くべきという考え方も十分に成り立つだろう。ブラジルやスウェーデンのように、「経済」優先の道を選び多数の死者を出しながら、政権への支持が大きく伸びた国もある。いずれを選ぶにせよ、専門家の分析を十分に吟味した上で政治判断を下し、進むべき方向性について首相自ら信念を持って国民に直接説明することが必要だ。
何より重要なのは、与党内よりも国民の方向を向くというスタンスをはっきり示すことだ。戦後の日本政治において、与党内の支持基盤が弱いリーダーが長期で政権を維持できたのは、国民全体からの高支持により党内を牽制できたケースである。
典型例が、小泉純一郎内閣である。小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と宣言して劣勢が予想されていた自民党総裁選を勝ち上がった。首相就任後も、郵政民営化などを通じて、自民党内の主要派閥や既得権益に挑むことで国民の熱狂的な支持を受けた。小泉氏は当時の自民党内では主流ではなく異端だったかもしれないが、国民全体の意識の主流にはむしろ近かったのであろう。中曽根康弘内閣も、政権発足当初は旧田中派に実質支配されているとして「田中曽根内閣」と揶揄されたが、強いリーダーシップによる各種改革の実現と既得権益の打破で国民から高い人気を得るようになった。
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与党内ではなく国民の方向を向く、という決心さえあれば、「健康・安全」「経済」のいずれの方向においても政策の選択肢は広がる。「健康・安全」では、緊急事態宣言など自由の制約や医療機関への財政支援だけでなく、「コロナ前」から日本の医療体制が抱えていた構造問題をミクロに解決していくべきだ。たとえば一人当たり病床数が世界一の日本でなぜここまで医療が逼迫するのか。そこには医師会や行政など既得権益の抵抗もあるだろうが、コロナ禍のように国民的な注目が集まる状況では、多数の利益は少数の利益に打ち勝つ。医師会の抵抗などによって導入が阻まれてきたオンライン診療も、コロナ禍によって一気に広まり、恒久化の道が開きつつある。
菅首相は、無派閥、非世襲、都市部選出であり、近年の自民党リーダーの中では極めて異端な存在だ。その異端さゆえのしがらみのなさを生かし、ばらまきに留まらず、既得権の打破と制度改革まで含んだコロナ対応を進めていくことを期待したい。
2021年1月24日 『日経ヴェリタス』掲載