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医療インバウンドの推進に向けて(1)
画像提供:Getty Images

R-2024-039

医療インバウンドへの期待
低迷する我が国の医療インバウンド
医療インバウンドの目的の再検討
医療インバウンドの現状と課題分析

医療インバウンドへの期待 

コロナ禍が収束し、訪日観光客数は急増、日本のインバウンド市場は活況を呈している。この状況を背景に、日本の医療・介護産業の成長戦略として「医療インバウンド」が注目されている。医療インバウンドとは、疾患治療や健康増進、疾患予防を目的として訪日する外国人を指し、医療機関の受診やウェルネスツーリズムを含む、幅広い医療・ヘルスケアサービスを対象とする。

2024年の経済財政運営と改革の基本方針(「骨太の方針」)には、「医療インバウンドを含む医療・介護の国際展開」の促進が明記された。さらに、厚生労働省は国際戦略推進本部を設置し、国際保健分野における包括的な戦略の一環として、医療インバウンド促進の方針を打ち出した[1]。この方針では、「訪日外国人患者の受け入れ(インバウンド)や医薬品・医療機器の海外展開(アウトバウンド)を推進する」ことや、「国民皆保険制度に基づく地域医療に配慮しつつ、自由診療による外国人患者の受け入れ体制を整備する」ことが明記されており、医療インバウンドは日本の国際貢献と産業発展の両面に貢献する国際保健戦略として位置付けられている。

これまでの外国人対応は、日本に長期滞在し、保険に加入している在留外国人や、観光目的で訪日した外国人が疾病や事故で医療機関を受診するケースが主であった。2019年のラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピックに向け、これまで様々な対応が取られてきた結果、在留外国人患者対応は年間約13万件、観光目的の外国人患者対応は年間約4万件に達している[2]

しかし、政府が今回示した「医療インバウンド」は、これらの従来の外国人対応とは異なり、医療目的で来日する外国人を対象にした自由診療による公的保険外の医療サービスを指す。診療報酬の実質的なマイナス改定や、少子高齢化・人口減少が進む中で、特に病院関係者の間では、持続可能な医療提供体制を維持するには、「外国人患者を積極的に受け入れ自由診療で得られる収益を国内の医療サービスの向上に繋げる」[3]ことが期待されている。 

低迷する我が国の医療インバウンド

医療インバウンドへの期待とは裏腹に、その現状は極めて厳しい。外務省の統計によれば、2023年度の訪日観光客数は2,500万人を超え、月間では300万人以上が訪日し、各地でオーバーツーリズムが懸念される水準に達している。しかし、その一方で、過去10年間に外国語対応や拠点医療機関の認定など様々な施策が実施されたにもかかわらず、医療インバウンドは全く増加していない。2023年度の医療滞在ビザ発給数は2,295件に留まり[4]、観光ビザを利用した医療渡航を含めても年間で23万人に過ぎないと推計されている[5]

マレーシア(年間90万人)[6]、シンガポール(年間50万人)[7]、韓国(年間50万人)[8]といったアジア諸国と比較しても医療目的の訪日数は著しく低い水準であり、現状ではその潜在力が発揮されていない。量的な課題に加え、質的にも多くの問題が存在している。本論考では、医療インバウンドの目的を再検討し、現状と課題を整理し、今後の解決策を提案する。 

医療インバウンドの目的の再検討

厚生労働省国際戦略推進本部の設置は、厚生労働行政の多くの分野において、国際社会の動向と国内政策が連動する必要性を強く認識した結果である[9]。特に、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(以下、UHC)の推進や、高齢化に伴う健康課題の知見をアジア諸国と共有することにより、日本が大きな貢献を果たすことが可能であるとの認識から、国際戦略の具体策を加速させるために設置された。具体的な取り組みとして、「循環型高齢者保健戦略」「介護の国際展開・外国人介護人材政策」「外国医療人材の育成」、そして「医療インバウンドを含む医療の国際展開」が挙げられている。

UHCは、WHOをはじめとする国際機関が主導するグローバルヘルス政策の代表例であり、健康改善や危機対応において大きな役割を果たしている。一方で、医療・介護の国際展開や医療インバウンドは、従来のグローバルヘルス戦略とは異なり、経済・産業政策の側面を持つ。この視点は、従来の厚生労働省の国際保健政策とは異なるものだ。

従来のグローバルヘルス戦略は、「国家安全保障」「経済安全保障」「国際貢献」の3つの目的を柱としている。一方、厚生労働省が担ってきた国内の保健システムには、「国民の保健アウトカムの改善」「患者の期待に応えること」「公平な医療費の徴収」という3つの主要な目的がある[10]。医療インバウンドは、これらの両者を組み合わせた視点から考慮すべきであり、具体的には以下の目的が想定される。

  1. 高度な医療ニーズへの対応:最新の医療技術や設備の導入により、国内患者にも恩恵をもたらす。
  2. ケアの質の向上:医療機関のマネジメント強化や医療従事者のスキル向上により、国内外の患者に対するケアの質を向上させる。
  3. 持続可能な医療提供体制の確立:自由診療による収益増加を通じて、国内医療サービスの持続可能性を高める。
  4. 国家ブランディングの強化:「健康先進国」としての国際的なブランドを促進する。

日本の医療界にとって、こうした発想の転換は容易ではない。しかし、医療インバウンドの目的を明確にし、関係者間で共通理解を持たなければ、効果的な成果を生み出すことは困難である。例えば、医療インバウンドを単に収益目的とし、公的保険診療による減収を外国人患者の自由診療で補おうとする考え方は本末転倒であり、成功は見込めない。それどころか、医療サービスの不平等や質の低下、さらには信頼の失墜を招くリスクがある。

日本は、観光地として世界的に高い評価を受けており、そのブランド力と信頼は群を抜いている[11]。長寿国として「健康」は日本の強力なコンテンツであり、それを活用して医療インバウンドを推進することで、医療財政の安定化が図られるだけでなく、最新医療技術の導入や医療従事者のスキル向上、さらには患者へのサービスの質向上も期待できる。これにより、国内医療のさらなる発展が促進され、医療分野がコストセンターから日本の重要な産業としての地位を確立する一助となる可能性が高い。 

医療インバウンドの現状と課題分析

渡航患者の受け入れに伴い、医療機関や関連機関には多岐にわたるタスクが発生し、その負担は非常に大きい。日本の医療機関のリソースがひっ迫する中、外国人患者にそのリソースを割くことには、日本の医療にとって十分な意義と価値があると断言できる。医療インバウンドは、単なる外国人富裕層を対象とした営利活動ではなく、国内外すべての患者に対するケアの質向上と日本の医療の発展に貢献するものでなければならない。

そのためには、医療インバウンドに対する正確な現状分析、適切な課題設定、そして戦略的な施策の立案が不可欠である。現状を把握するために、筆者らは、日本に医療目的で渡航する外国人患者が現地を出発してから、日本で治療を受け、帰国するまでの患者体験と関連タスクを整理し、分析を行った(図)。

図:渡航受診者の患者体験と関連タスク(インタビュー調査の下で筆者作成)


また、筆者らは、医療インバウンドを積極的に受け入れている9つの医療機関に協力を得て、現状についてインタビュー調査を実施した。医療インバウンドの渡航目的は、疾患治療から健康増進、疾患予防まで多岐にわたるが、本調査では疾患治療を目的とした医療渡航に限定して行った。渡航患者の体験を整理する中で、医療機関の業務が患者の来院前の受け入れ調整に集中していることが明らかとなったため、インタビューでは院内体制、医療渡航患者の集患状況(上図の集患から患者問合せに該当)、および患者受け入れ調整(上図の受入れ調整から渡航調整に該当)に焦点を当て、医療機関が直面する課題を抽出した。インタビューは2024年7月19日から8月23日にかけて実施した。

1)院内体制
院内体制について、ほぼすべての医療機関で外国人患者受け入れ専用の部署が設置されているが、その多くは通常の保険診療と外国人診療(自由診療)を兼務している形態が一般的である。病床に関しては、医療渡航患者は主に個室で受け入れられるが、自由診療専用の病床を持つ医療機関はわずかな施設に限られ、保険診療と自由診療の病床が明確に区別されていないケースが多い。医療通訳については、自施設での育成を行っている医療機関は2施設にとどまり、それ以外の施設は渡航支援企業からの派遣に依存している。また、働き方改革以降、人材の確保が難しくなっており、保険診療を優先せざるを得ないため、医療渡航受け入れに割ける人的リソースが限られているという意見が多く聞かれた。

2)医療渡航患者の集患状況
医療渡航患者の集患状況については、年間500名以上の受け入れを達成している施設はわずか3施設であり、入院患者に限ると年間100名を超える施設は1施設のみであった。また、受け入れ数が充足しているかどうかについて、充足していると回答したのは2施設のみであり、残りの7施設は想定患者数に達していないことがわかった。ただし、受け入れ数が少ない施設でも、受け入れの増加を望まない声が多く、年間の入院患者数を最大でも100名程度に抑えたいという意見が複数聞かれた。集患方法については、多くの医療機関が渡航支援企業に依存しており、積極的に広告・宣伝を行っている施設は少数にとどまったが、一部の施設ではグループ企業や外部委託企業を活用したプロモーション活動が展開されている。また、医療滞在ビザの発行に時間がかかるため、治療を待てない患者が他国へ流出してしまうという問題も指摘された。

3)患者受入調整
医療渡航患者の受け入れ調整は医療機関にとって大きな負担となっており、各医療機関は様々な対応策を講じている。具体的には、患者からの直接問い合わせを受け付けない施設、限定された身元保証機関からのみ患者を受け入れる施設、問い合わせ対応を専門企業に委託する施設などがみられる。しかし、身元保証機関からの医療情報が不十分であったり、病院の機能と患者のニーズが一致しないため、受け入れが実現しないケースが多く発生している。実際に受け入れに至るのは全体の問い合わせの約10%にすぎず、受け入れ決定後にキャンセルされるケースも多いため、医療機関の負担は非常に大きい。また、外国人診療の価格設定は診療報酬の300%に設定されているケースが多いが、それでも業務量を考慮すると赤字になると指摘する医療機関もあった。

インタビュー結果を踏まえ、医療機関における医療インバウンド受け入れの課題は以下のように集約できる。 

  1. 日本の医療機関は、公的保険制度に基づく病院機能を果たすことが最優先であり、医療インバウンドに積極的にコミットしている病院はごく一部に限られる。多くの医療機関では、自由診療は保険診療の補完的役割としてのみ行われており、日本人患者の診療を最優先すべきだという考えが一般的である。外国人患者の受け入れが日本人患者の診療を圧迫することは避けるべきという意識が根強い。また、各医療機関の外国人患者受け入れキャパシティには限界があり、たとえ受け入れに前向きな場合でも、急激な増加には慎重な姿勢をとる病院が多い。この現状を打破するためには、医療インバウンド促進に向けた明確なビジョンと現場の意識改革が不可欠である。 
  1. 多くの医療機関では、医療渡航患者数が想定を下回っているのが現状である。グループ企業が身元保証機関として機能し、集患に注力しているケースも一部見られるが、大多数の医療機関は渡航支援企業からの患者紹介に完全に依存している。長年保険診療に支えられてきた日本の医療機関にとって、患者は待っていれば来るものという意識が強く、他の医療機関との競争に勝って患者を集めるという発想が欠けている。この課題を解決するには、医療インバウンドに取り組む医療機関が、自らの強みや差別化ポイントを明確にし、ターゲットとなる患者層を正確に見極めるとともに、その価値を的確に訴求できるマーケティング戦略を構築する必要がある。 
  1. ほとんどの医療機関では、渡航支援企業や患者からの問い合わせ対応、医療情報の収集・整理に対して大きな負担を感じており、この点での改善が求められている。渡航支援企業自体の品質向上が必要とされる一方で、患者のトリアージは高度な専門性を要する業務であるため、自施設内でのトリアージ体制を強化するか、または特定の企業にトリアージ機能をアウトソースするなど、医療渡航患者受け入れにおけるオペレーションの改善が不可欠である。

上記の課題分析を踏まえ、次の論考(医療インバウンドの推進に向けて(2))では医療インバウンドに取り組む医療機関に求められる重要成功因子(Key Success Factor; KSF)と具体的な施策を提案する。


添付資料
医療インバウンド受け入れ医療機関の現状
(
筆者実施のインタビュー調査に基づく)

項目 件数
医療機関属性 医療機関機能 特定機能病院 5
地域拠点病院 3
その他 1
医療機関所在地 首都圏 6
大阪・名古屋などの都市部 2
それ以外の地方 1
院内体制 外国人受け入れ専門部署 あり 8
なし 1
専門部署体制 専任のみ 1
専任と兼任 7
兼任のみ 1
病床 保険診療病床と自由診療病床を区別 1
保険診療病床と自由診療病床を区別しない 8
医療通訳体制 院内で育成 2
渡航支援企業が派遣 7
集患状況 年間渡航患者受入数
(入院+外来)
500以上 3
100-500 4
100未満 2
年間渡航患者受入数
(入院)
100以上

1

50-100 2
50未満 6
最大の年間渡航患者受入数
(入院)
無制限 3
100-150 3
50-100 2
50未満 1
渡航患者充足の有無 充足している 2
充足していないが極端な増加にも消極的 2
充足しておらず多くの患者を受け入れたい 5
集患方法 自院、グループ企業又は委託先企業が集患する 3
渡航支援企業に一任 6
医療機関による宣伝 自院、グループ企業が積極的にプロモーション 3
自院でプロモーションしたいが検討できていない 3
自院でプロモーションする予定はない 3
患者受入れ調整 受け入れ窓口 自施設スタッフが受け入れ 8
専門企業に委託 1
受け入れ経路 患者+身元保証機関(患者直接受け入れ可) 3
身元保証機関 6
身元保証機関 制限なし 4
指定企業のみ 5
患者を断る理由(複数回答) 医療情報が不十分 8
検査枠がない 7
病院機能にあわない 4
外国人価格設定 診療報酬の300% 6
診療報酬の200%又はそれ以下 3

 


[1] 厚生労働省国際保健ビジョン https://www.mhlw.go.jp/content/10501000/001294429.pdf2024828日アクセス)
[2] 厚生労働省「令和5年度医療機関における外国人患者の受入に係る実態調査」
[3] 武見敬三厚労大臣の敬人会講演(2024729日)
[4] 外務省 令和6年医療渡航ビザ発行統計 https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/tokei/hakkyu/index.html2024828日アクセス)
[5] 厚生労働省 令和元年度「医療機関における外国人患者の受入に係る実態調査」・平成29年度「外国人患者の医療渡航促進に向けた現状の取組と課題について」を元に推計
[6] マレーシア:DBJInternational Medical Travel Journal
[7] シンガポール:Medical Tourism Singapore 2022
[8] 韓国: 韓国保健産業振興院発表報告書
[9] 第1回 2024627日 厚生労働省国際戦略推進本部について
[10] https://www.who.int/about/accountability/results/who-results-report-2020-2021
[11] Anholt-Ipsos Nation Brands IndexSM 2023. (2024828日アクセス)https://www.ipsos.com/sites/default/files/ct/news/documents/2023-10/NBI_2023_Press_Release_Supplemental_Deck_WEB.pdf2024828日アクセス) 

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