R-2024-046
ウェルビーイング(well-being)という概念は、WHOが1940年代に健康を定義する際に「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあること」と表現したことを契機に認識が広がり、また経済社会のあり方から再考を求められる今日において、時代の1つのキーワードとなっている。上記の健康の定義からもわかる通り、ウェルビーイングとは、幸せを実感しながらよりよく生きるといったポジティブな状況を増進するという意味合いも含まれる概念である。
我が国の動向に目を向けると、岸田前首相が2023年10月の臨時国会における所信表明演説で、日本国民が「明日は今日より良くなる」と信じられる時代を実現するキーワードとして「ウェルビーイング」に触れるなど、政策を進める上でもその重要性は認識されつつある。
教育分野においては、2015年からその検討が開始され、2019年5月に最終報告が公開されたOECDのLearning Compass 2030に、生徒が学習活動を通して向かう先として「Well-being 2030」が標榜されている。また、2023年6月16日に閣議決定された第4期教育振興基本計画には「ウェルビーイング」というキーワードが盛り込まれた。
本論では、国際的な議論をリードするOECD、および国内における教育分野を所管する文部科学省の第4期教育振興基本計画において、「ウェルビーイング」が教育の中でどのように位置づけられているかを概観し、教育におけるウェルビーイングの重要性と効果的な実践への道筋を検討する。
1.OECD Learning Compass 2030における「ウェルビーイング」
OECD Learning Compass 2030は、2015年からOECD Future of Education and Skills 2030 プロジェクトとして検討が開始され、2019年5月に公開された最終報告のコンセプチュアルフレームワークである。このプロジェクトでは、教育目標を設定するにあたって、1)気候変動などの環境課題、2)科学によるテクノロジーの発展や国家および地域間の経済的な相互依存関係などの経済課題、3)世界的な人口増加、戦争やテロリズムの脅威などの社会課題の3つの観点で外部環境を整理している。そのような外部環境の中で、個人が無目的な行動を取ることはそれらの課題をさらに助長することを指摘しており、むしろそれらの諸課題へのアプローチも含む概念として、個人と社会のウェルビーイング(individual and collective well-being)に注目している。
学習者は、エージェンシー(「自ら考え、主体的に行動して、責任をもって社会変革を実現していく姿勢・意欲」)を育み、新たな価値を創造する力、対立やジレンマを克服する力、責任ある行動をとる力という3つのコンピテンシー(能力)を備えて、「ウェルビーイング」に向かうイメージとして描かれている。これらの文脈からもわかる通り、個人のウェルビーイングだけでなく、社会のウェルビーイング(collective well-being)もその射程に含めたものとして整理されている。
図1:The OECD Learning Compass 2023出典)OECD. OECD Learning Compass 2030.
2.第4期教育振興基本計画における「ウェルビーイング」
2023年6月16日に閣議決定された文部科学省の第4期教育振興基本計画における大きな2つのコンセプトは「持続可能な社会の創り手の育成」および「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」であり、これは前述のOECDのウェルビーイングの考えと共鳴するものである。子ども・若者の主体性や創造力を育み、一人一人の自己実現を目指すことで、教育活動全体を通じたウェルビーイングの向上を柱として掲げているほか、子どもたちのウェルビーイングを高めるために、教師をはじめとする学校や社会全体のウェルビーイングの重要性も位置づけられているのが特徴と言える。
図2:教師のウェルビーイング、学校・地域・社会のウェルビーイング
出典)文部科学省. 【新たな教育振興基本計画】持続可能な社会の創り手の育成と日本社会に根差したウェルビーイングの向上をどう実現するか(Interview).
3.教育におけるウェルビーイングの重要性
OECD Learning Framework 2030でウェルビーイングが教育活動の羅針盤として位置づけられていることや、文部科学省の第4期教育振興基本計画においてもウェルビーイングが掲げられていることからも、教育においてウェルビーイング醸成の機運が高まっていることは明らかである。
文部科学省が2023年度に実施した調査では、ウェルビーイングには、学力(成績)そのものよりもむしろ、友達との関係、教師との関係など、他者とのつながりが関連していることや、ウェルビーイングが教科へのポジティブな態度にも繋がっていることが示唆されている。また、生徒のウェルビーイングにも寄与する教師のウェルビーイングについても、その重要性が指摘されている。
学校という場においてウェルビーイングを育む要因についてはこのように少しずつ研究が進んでいる一方で、ウェルビーイングを育む具体的な活動とはいかなるものか、これまでの教育実践との連続性も踏まえた活動や、ウェルビーイングという文脈を踏まえて効果検証をしたユースケースは極めて限定的である。
本研究プログラムでは、自治体と連携したウェルビーイングを育むプログラムの実践、これまでの教育実践との統合などに取り組み、ウェルビーイングを念頭に置いた教育のあり方について今後も検討していく。
参考文献
・首相官邸. 第二百十二回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説. https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2023/1023shoshinhyomei.html (2024/09/24閲覧)
・OECD Future of Education and Skills 2030プロジェクトにおけるコンピテンシーに関する議論の変遷 : OECDラーニング・コンパス(学びの羅針盤)2030に着目して. 東京学芸大学紀要. 総合教育科学系. 72,p.579-588. https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000136-I1050288469016632576
・文部科学省. 中央教育審議会教育振興基本計画部会(第13回)会議資料. 【資料8】ウェルビーイングの向上について(次期教育振興基本計画における方向性). https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/content/000214299.pdf (2024/09/24閲覧)
・文部科学省. 令和5年度全国学力・学習状況調査 ウェルビーイングに関する分析報告書 ―学校という「場」のウェルビーイングの醸成に向けて―. https://www.mext.go.jp/content/20240625-mxt_soseisk02-000036677-13.pdf (2024/09/24閲覧)