
R-2024-127
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1.医療の定義 |
1.医療の定義
「医療」の定義は複雑である。まず「医療法」という法律があるが、具体的な行為を医療と定義しているわけではないため、法律で規定された、医師を代表とする医療従事者などの主体「担い手」が医療法に基づく場所「医療提供施設」で行われた場合に医療とされるのが一般的である。[1]この提供行為の自由度により、「医療」という用語に言及した場合に法律で規定される範囲と、実際の現場での提供内容にギャップが生じやすい。医療法第一条の二には「医療は、生命の尊重と個人の尊厳の保持を旨とし、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係に基づき、及び医療を受ける者の心身の状況に応じて行われるとともに、その内容は、単に治療のみならず、疾病の予防のための措置及びリハビリテーションを含む良質かつ適切なものでなければならない。」と記載されている。本文言は、医療提供のための原則的な考え方に加えて、時代の変化に対応した柔軟性のある文言となっている。ただし、上述の通り示す医療行為の範囲は幅広く、「治療」のみではなく、「予防のための措置」および「リハビリテーション」まで含む。
もう少し直接的な定義もある。全日本病院協会の「病院のあり方に関する報告書」では、狭義の医療として「診療(診断と治療:diagnosis and treatment)すなわち、医の行為(medical care)」や広義の医療として「健康に関するお世話(health care)」とする一方で、元日本医師会長武見太郎氏のように「医療とは医学の社会的適用である」とその思想に基づく定義もある。[2],[3]全日本病院協会の報告書では、医療ビッグバンとされた大きな医療提供体制の改革時代;2000年前半の介護保険制度の導入・DPC(Diagnosis Procedure Combination:急性期入院医療を対象とした診療報酬の包括評価制度)の導入といった医療提供体制側の危機感・状況の整理があったことが推察できる。そして、今なぜまた医療の定義を再確認するかというと、高額療養費制度のみならず、社会保障費用の増大に対して、医療における大きな変革が求められているからである。特に「どのような行為」を「医療」として考えるべきなのかが問われる状況であるからだ。「予防」に注目が集まる現在、全てを「医療」として取り扱うのか、また便利な用語として使われることの多い「ヘルスケア」に関して言及する。担い手の在り方については他のReviewも参照されたい[4]。本Reviewではあくまで2025年3月時点での潮流を加味した上で、医療・ヘルスケアに関した提言を行う。
1-1. 病気・健康の概念の変遷
「医療」に関わる人類の歴史において、「病気」や「健康」の概念は時代や社会背景とともに変化してきた。古代・中世は宗教的・呪術的、さらには哲学的な解釈が強く、悪霊や神罰が病気の原因と考えられることも多かった。[5]しかし近代以降、細菌学やウイルス学といった科学の発展により、病気は「原因微生物や生体機能の異常」によって引き起こされると捉えられるようになる。[6]今の我々の世界観に近いのは、1948年世界保健機関(WHO)が提示したWHO憲章における健康の定義だろう。「健康とは、身体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態(complete well-being)であり、単に病気や虚弱でないということではない」というもので、現在にも大きな影響を与えている。[7]これは従来の「病気がない状態 = 健康」という二元的な発想から、より積極的で包括的な健康観へと転換する端緒となったといえる。WHO憲章は長く我々の世界観に影響を与えており、包括的な健康観からさらに現在、“ウェルビーイング”という用語に焦点をおいて語られることが多いのも興味深い。[8]「医療」との関係でいけば、病気・疾病の「治療」のみではなく、「予防のための措置」および「リハビリテーション」が健康やウェルビーイングにつながることが、2025年現在であれば容易に想像できるだろう。病気・疾病になる前後で予防やリハビリテーションは明確に分類できたかもしれないが、近年の医療の概念の発達により、病気・疾病になった後も生活習慣改善しなければいけない。またリハビリテーションの特に運動や教育の要素は疾病にかかる前、例えば手術などの前などからプレハビリテーションとして提供されることも増えてきている。[9]
1-2. 医療とヘルスケアの定義の違い
「医療」を区分すると、より想像しやすく参考になるだろう。まず医療の提供体制の基本である、病院・診療所などの提供場所による区分(例:特定機能病院など)が挙げられる。[10]次に入院医療・外来医療などの機能による区分である。入院機能というのは医療において特殊性が高い分類であり、急性期・慢性期や病床数という規模の分類にもつなげることが可能となる。在宅医療は、「医療を受ける者の居宅等において、提供される医療」と定義する事が出来るため、外来・通院医療、入院医療に次ぐ、「第3の医療」と呼ぶ場合もある。[11]
ここまでの、医療の具体例・区分は比較的明確だが、提供時期・専門性に関して議論を進めると、医療の分類は重複する部分もあり、完全な区別は難しい。例えば、全日本病院協会では外来医療を専門的疾患・プライマリケアに分類しているが、何をもってプライマリケアとするかの定義は明確になっていない。専門的疾患は専門医(「担い手」による定義)が診療しているものを専門的疾患と考えるのがわかりやすいが、実際はそうなっていない。前述のように病気・疾病の前後に介入要素が増加する傾向にあり、専門医などの診療範囲は拡大傾向にある。プライマリケア領域は専門的疾患の管理に幅を広げるというよりは、病院などの提供体制を超えてその範囲を拡大している。ここで「医療」の提供場所を超えた地域の活動を医療と呼ぶか、あるいは、これは健康増進・予防の領域であるかどうかが課題となる。実際に全日本病院協会の報告書において健康増進・予防に関しては、医療なのかどうかは曖昧なままの記載とされている。プライマリケアという用語が指し示す範囲は文化的・社会的背景により異なる。[12]プライマリケアは医療であることがある程度共通見解であるが、病院などの医療以外の活動を含む、プライマリ・ヘルス・ケアという似た用語もあり、注意が必要である。[13]プライマリケアをプライマリ・ヘルス・ケアと対比するために、Primary medicine/Primary medical careと表現することもある。[14]医療に言及し、その対象が予防や健康増進、また病院・診療所などの提供場所を超えて「担い手」が活動し始めた現在、この「プライマリケア」・「プライマリ・ヘルス・ケア」などの用語が本来の意味を超えて重複することもある。これらの用語を議論する際には最初に自分がどのような範囲を明示しているのかを明確に相手に伝える必要がある。特に「ヘルス・ケア」、「ヘルスケア」という用語はきわめて範囲が広い。
ここまでの広義の医療の定義の中ででてきた、「健康に関するお世話(health care)」、プライマリ・ヘルス・ケアでは、医療以外の活動というニュアンスを含むヘルスケアのように、「ヘルスケア」は健康・ウェルビーイングなど医療概念や健康概念の拡大に伴い、便利な用語として利用されてきたのだと推察される。ヘルスケアの正式な定義に関して、いくつかの見識が散見されるが、日本ヘルスケア協会がヘルスケアの定義(簡略版)として「ヘルスケアとは、自らの『生きる力』を引き上げ、病気や心身の不調からの『自由』を実現するために、各産業が横断的にその実現に向け支援し、新しい価値を創造すること、またはそのための諸活動をいう」[15]と定義に産業領域が言及されていることに注目されたい。医療の「担い手」だけではなく、産業領域、医療従事者以外でのヘルスケア提供ということが今となっては当たり前かもしれないが、その用語が使われるようになった経緯は社会状況を反映していると考えられる。
2.医療・社会保障費用の増大、世界的な動向と日本の実情
医療・ヘルスケアは技術革新のポジティブな要素のみではなく、コストという負の部分でも重要な議論の対象である。前回のReviewでも言及したが、医療費の増大は大きな社会問題である。[16]これは日本に限らず世界的に社会保障費用の増大が大きな課題となっている。
2-1. 医療費・社会保障費用の構造的増大
先進国を中心に、高齢化と医療技術の高度化に伴って医療費・社会保障費用が年々増大している。OECD(経済協力開発機構)のデータによれば、GDPに占める医療費の割合は米国で16%を超え、ドイツやフランスなども10%を上回る水準となっている。[17]日本においても、少子高齢化の進行や新薬・新技術の導入などにより、国民医療費は毎年増加傾向にある。日本では令和4年度データで国民医療費の国内総生産(GDP)に 対する比率は8.24%(前年度8.13%)であった。[18]社会保障費用においては、医療保険のみならず、公的年金・介護保険などの支出が増加しており、財政バランスの維持が大きな課題となっている。こうした背景から、各国政府は予防やヘルスケアの推進により、医療費や介護費の抑制を図る政策を強化している。日本は医療・介護の文脈で病気・疾病罹患後のみならず予防(主に重症化予防)の領域も拡大してきた。国民皆保険や高額療養費制度など国民にとって非常に素晴らしい制度は、医療の概念・解釈の拡大によりダイレクトに費用の拡大に直結しているのは事実であろう。
2-2. 分子標的薬・核酸医学を中心とした革新的薬剤の高騰
近年、がん治療をはじめとした分子標的薬や核酸医薬など、革新的なバイオ医薬品の登場が医療の高度化を牽引している。[19],[20]これらの新薬は従来の薬剤とは異なるメカニズムで高い治療効果を発揮する一方、開発コストの巨大化や希少疾患向けのオーファンドラッグに対する公的支援などにより、薬価が非常に高額になる傾向がある。実際にオプジーボの薬価は年間3,000万円、オナセムノゲンの1回投与あたり1億7,000万円という金額が話題となった。[21],[22]このような新規薬剤の高騰は、医療アクセスや保険制度の持続可能性に大きな影響を及ぼしうる。コストと有効性(Cost-effectiveness)のバランスをどのように評価・適正化していくかが国際的な課題となっている。近年の物価上昇も含めて、今後も薬剤等の価格の上昇は継続すると考えられており、前回のReviewでも言及したが新規科学技術に対する価値の設定が特に難しい。[16]
2-3. 日本の皆保険制度とその強み・弱み
日本は世界に類を見ない国民皆保険制度を採用しており、比較的安価な自己負担で高水準の医療にアクセスできる点が強みとして挙げられる[i]。しかし、その反面、慢性的な財源不足、超高齢社会の進行によって制度の持続可能性が危ぶまれている。医療の提供場所である、医療機関も診療報酬によって収益を得る構造であるため、診療報酬加算がないような新規科学技術・新規サービスへの積極投資を促すインセンティブが弱い、という指摘もある。前述のように医療費が厳しくなってきている現在では、自己負担を増加させることを考えるが、そんなに簡単なものではない。2025年2月から3月における高額療養費制度に関しての患者団体からの反対などは記憶に新しい。[23]さらに複雑なことに、日本では、保険診療と保険適用外の自由診療を併用(混合)することが原則禁止されている。これは「公的医療保険による均等な医療アクセスを確保する」という理念によるものだが、高度な医療技術や先進的な治療法を早期に導入したい患者や医療機関にとっては制約となっている。したがって新規技術を導入する場合には完全に自費、「医療」として実施するには診療報酬として認められるまで待つという選択になる。最近、大学病院においてもエビデンスに基づく自由診療を提供する場面も散見されるようになってきた。[24]美容医療やアンチエイジングの領域を含む多様なヘルスケアにおけるサービスと、保険診療との接点がどのように変化していくかが注目される。
2-4. 海外との比較
海外では米国や欧州諸国を中心に、保険適用外のサービスが多様に展開される一方、社会的格差の拡大や高額医療の問題が深刻化している。対照的に、日本は「均等な医療アクセス」という点で比較的優位にあり、革新的な医療・ヘルスケアサービスの導入においては諸外国よりも遅れが見られる。高額療養費制度の見直しが先延ばしになった今、今後さらに財源は厳しくなると思われ、革新的な医療の提供に遅れ、「ドラッグロス・ドラッグラグ」は必発だろう。[25]先ほどのように自由診療が日本でも増加してきた場合には、均等な医療アクセスなどとのバランスを再考する必要がある。国際機関(OECDやWHO)も、予防やヘルスケアサービスへの積極的投資と公平なアクセスを両立する政策設計の重要性を指摘しており、日本も含め各国が模索を続けている。
3.予防・ヘルスケア
3-1. 予防への関心の高まり
医療費増大を抑制する手段として、シンプルな考え方であるが、先進国を中心に予防への注目が急速に高まっている。例えば、心筋梗塞や脳卒中などの生活習慣病は、適切な食事管理や運動、禁煙などの生活改善によって大きくリスクを低減できることがエビデンスとして示されている。[26]したがって演繹的な考え方として、予防的な介入を行うことで、将来的な治療費や介護費を抑制し、個人のQOL向上にも寄与するという観点から、各国政府がさまざまな政策や啓発活動を展開している。しかし、注意していただきたいのは予防という抽象的な概念のもと、医療費を削減できるというエビデンスはほとんどないことである。[27],[28]
3-2. ヘルスケアと医療の境界線の曖昧化
脳卒中を含む心血管疾患、がんを含めて、疾患の予防としては運動・食事・睡眠などのエビデンスが認められる。[29]これらのエビデンスにかなり近接した領域、サプリメントや栄養食品、ウェルネスプログラムなど、医療と非医療の中間領域とも言えるサービスが増えている。前述のとおり医療提供場所ではない上に、医療の担い手ではないため非医療である。近年、医療従事者が監修という立場を超えて、医療従事者自身で起業したり、直接医療相談を請け負ったり、受診勧奨に近いところまで行うモデルもでてきている。美容の領域でも同様で、健康増進や美容・若返りを目的とする商品やサービスが数多く登場し、「医師が行う医療行為」と「誰でも利用できる一般的なヘルスケアサービス」の境界線が曖昧になりつつある。
保険診療はエビデンスが一定以上認められないものは実施できないため、医療従事者はエビデンスの担保されたものを医療機関において提供することで信頼されていたが、提供場所、エビデンスの乏しい内容がされうることで、医療従事者への信頼自体も低下しうる非常事態でもある。例えば、ダイエットサプリや健康食品に対して、医薬品と同等の効果を暗示するような広告、さらに医療従事者がこういったサービスに関与することがある。ただし、このような内容は古くからあるが、その母集団が今後増大しうる状況である。実際にエビデンスの有無や安全性のチェックが十分でないまま市場流通している現状が指摘されている。紅麹問題はこの問題を浮き彫りにしたと言える。[30]消費者庁や厚生労働省は規制を強化する一方で、イノベーションを阻害しないバランスの取り方も模索している状況である。
ここで重要なことは、医療・ヘルスケア全体を考えたときに医療・ヘルスケア「産業」が新しい価値を創造するといったように産業領域も横断して活動することとなり、医療の枠組みを大きく超えうるものであることだ。経済産業省の報告によれば市場は2020年の健康づくり領域で18兆円、2050年には約60兆円まで増加することを見積られており[31]、今後医療の領域を超えて、活躍する医療の「担い手」と産業領域のプレイヤーが協働し、様々な取り組みが行われることが期待される。
4.今後の政策提言と実行への展望
ここまでの課題を踏まえての提言として、以下の2つを取り上げる。どれも関連するのは「医療」の定義であり、同時にここまで進んできた「医療化」の流れであり、今求められているのは何を「医療」として、何を「医療としないか」である。この取捨選択、「脱医療化:Demedicalization」こそ、重要な意思決定となりうると考えられる。
- 医療機関における予防・ヘルスケアサービスについて
- 医療機関以外での予防・ヘルスケアサービス提供体制
①医療機関における予防・ヘルスケアサービスについて
医療機関においても、今後は治療だけでなく予防やヘルスケアサービスを包括的に提供する流れが進むと見込まれる。どうしても自由診療として位置づけられる部分がでてくるだろう。この枠組みを明確化して、ライフステージ全て、または人生を通じた予防対策を実施できる仕組みづくりが急務である。具体策としては以下が挙げられる。
- 予防・健康経営: 生活習慣病予防や禁煙外来、メタボリックシンドローム対策プログラムなど、保険診療の外で行われるものが保険診療と連動しやすい形で提供される仕組みづくり。健康増進法および労働安全衛生法などのみではなく、母子保健などを含めた法律の枠組みを超えた人生のライフステージを考慮した予防対策を実践する整備が必要である。
- 保険診療外の有効な治療の提供:海外やエビデンスが認められる治療で診療報酬加算が認められないものをヘルスケアサービスとして提供する。この点には、医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、理学療法士など多職種はもちろん、混合診療の観点や訴訟に対しての法的な専門家、医療機関ベースでのビジネスの継続性を考慮できるマネジメント・意思決定を行う専門家も必要とされる。医療・ヘルスケアサービスの提供という点で法的整備が必要であることはこれまで言及した通りである
- デジタルツールの活用: 遠隔モニタリングやオンライン相談を組み込み、通院負担を減らしつつフォローアップを充実させるという一般的な考え方から、規制緩和と安全性を両面担保しながら速度を速めた形でデジタルツールを活用できるように実践することが必要である。診療とダイレクトに関連せずとも、バックエンド側での運営効率、両立支援、就労支援などのデジタルツールの活用も期待される。デジタルツールの活用に対してのインセンティブ設計が必要で、すでに多く実装されているが、今後もさらなる介入が求められる。
医療機関がこうしたサービスを行うことで、付加価値を高めながら収益を補完するモデルが成立するために、混合診療などの制度設計を政策としても再考するのは急務だと考えられる。制度自体を変更せずとも、どこまでは解釈で調整可能なのか、先駆的な施設での取り組みや、議論が行われているため、引き続き議論の内容や先駆的な取り組みに関して、周知のためにメディアを含めて公開していっていただく必要があるだろう。
②医療機関以外での予防・ヘルスケアサービス提供体制
フィットネスクラブやサプリメント販売事業者などを始め、デジタルアプリまで民間企業が提供するヘルスケアサービスは急増している。ヘルスケアサービスの信頼性と利便性を両立するためには、開発者と利用者の情報共有を促進し、適切な規制フレームワークを整備する必要がある。現在、経済産業省・日本医療研究開発機構(AMED)によりヘルスケアサービスの展望を踏まえた事業がおこなわれている。E-LIFEヘルスナビ[32]のような事業と国民への周知を踏まえて、今後質の高いヘルスケアサービスの整理に加えて、Healthcare Innovation Hub(通称:InnoHub)のような相談窓口およびニーズと提供体制のマッチングを継続的に行う必要があるだろう。具体的には以下の施策が考えられる。
- 認証制度の構築: 第三者機関による客観的な評価指標・認証マークを導入し、利用者がサービスを選択する際の目安とする。
- 柔軟な規制アプローチ: 技術革新の速度を踏まえ、サンドボックス制度などを活用して一定期間は規制を緩和し、事業者のイノベーションを促進する。
- ビジネスモデル・市場の安定化:ヘルスケアサービス・ベンチャー企業に対する投資関係はすでに多く実践されているが、ヘルスケア関係はおもにやはり製薬業界、自治体の予算に依存していることが多い。さらなる市場の拡大と国際的な協力体制を強化する必要があるだろう。
医療機関以外のプレイヤーが積極的に予防・ヘルスケアに参画し、社会全体として医療費削減や健康増進を図れる仕組みづくりが求められる。しかし、我々が実施したアンケート調査では、学会が推奨していたとしてもアプリケーションやヘルスケアサービスなどに月額では500円未満しか使用しないという回答が半数を超えていた。Direct to consumer型のモデルは厳しいことも考えられるため、サービスの存続性を考えながら、価格設定、規制、生活の質などをさらに深く議論し続ける必要があるだろう。エビデンスなどを求める、規制のバランスは難しい一方で、過度な規制緩和は消費者保護の観点から問題があるため、「安全性とイノベーション」のバランスをどうとるかが重要な政策課題となる。この際にもヘルスケアサービスは、医療機器や医薬品に該当しない場合も多く、厚生労働省だけでなく、消費者庁(景品表示法や特定商取引法の管轄)や経済産業省(産業振興とイノベーション推進)、さらには総務省(ICTや情報通信政策)など、複数の省庁の利害や役割が関与することになる。
- 消費者庁: 誇大広告や虚偽表示、マルチ商法などの悪質ビジネスから利用者を保護する。
- 厚生労働省: 保険診療との関係性、医療広告ガイドライン、薬機法に基づく医療機器・医薬品の承認などを担当。
- 経済産業省: ヘルスケア産業の振興、デジタルヘルスベンチャーの支援、オープンイノベーション促進。
- 総務省: テレワークやリモート診療、オンラインサービスのインフラ整備や通信規格を監督。
こうした複数省庁の連携を強化し、横断的なガイドライン策定や一元的な窓口構築を行うことによって、ヘルスケアサービス分野の課題に迅速かつ総合的に対応する仕組みが必要となる。2025年3月28日に厚生労働省および経済産業省による「健康寿命延伸産業分野における新事業活動のガイドライン」[ii]が更新されており、今後も更新予定とされている。このように時代の要請におうじて、省庁横断的に姿勢を明確化していただくことが強く求められる。
5.結論と展望
本Reviewでは、医療とヘルスケアの歴史的背景から現状の課題、デジタルヘルスの躍進、そして利用者・開発者双方の視点と政策提言までを俯瞰した。世界的な医療費・社会保障費の増大、技術革新の加速、健康意識の高まりなど、多くの要因が絡み合うなかで、従来の医療モデルに加え、予防やヘルスケアを中心とした総合的な健康サービスが求められている。
今後は、医療機関が予防・ヘルスケアにも積極的に取り組むとともに、民間企業が提供する多様なサービスを公的制度や社会インフラとどう連携させるかが鍵となる。そのためには、各省庁間での横断的な協力とガイドラインの整備、エビデンス構築の加速、利用者保護の仕組みづくりが欠かせない。世界的なトレンドに合わせて、デジタル技術を活用した新たなサービスを育成しつつ、公平なアクセスと安全性を両立させる政策設計が求められるだろう。
以上より、医療とヘルスケアの垣根が一層曖昧となっていく近未来において、予防やアンチエイジング、美容領域まで含めた包括的な健康支援サービスが主流となる可能性が高い。日本の強みである皆保険制度や高い医療水準を活かしつつ、デジタルヘルスやイノベーションを取り込むことで、持続可能な医療・ヘルスケアシステムを実現していくことが期待される。
参照
[i] https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4596
[ii] 001467329.pdf
参考文献
[1] 医療法. https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000205
[2] 病院のあり方に関する報告書. https://www.ajha.or.jp/voice/arikata.html
[3] 第7章 医療の質:「病院のあり方に関する報告書」(2011年版)https://www.ajha.or.jp/voice/arikata/2011/07.html
[4] 医療人材育成の課題:研修医の患者有害事象とかかりつけ医の健康影響. 東京財団政策研究所 https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4699
[5] 陀安広二. 健康と病気の概念 : ジョルジュ・カンギレムの言説を手がかりに. 医療・生命と倫理・社会 115–123 (2005) doi:10.18910/10047
[6] 村岡潔. 近代医学のアナトミー : 先端医療思想を念頭に. 医療・生命と倫理・社会 113–121 (2002) doi:10.18910/6600
[7] 世界保健機関(WHO)憲章とは. https://japan-who.or.jp/about/who-what/charter/ (2020)
[8] ウェルビーイングLab) B. ウェルビーイング(Well-being)とは? 意味・注目される背景や取り組みをわかりやすく解説. ベネッセ ウェルビーイングLab https://www.benesse.co.jp/well-being/about/index.html (2023)
[9] 筧 慎吾 & 若林秀隆. プレハビリテーション介入による術前環境の適正化. Jpn. J. SURG. METAB. NUTR. 55, 170–174 (2021)
[10] 全日本病院協会社団法人. 中小病院のあり方に関する プロジェクト委員会報告書. https://www.ajha.or.jp/voice/pdf/arikata/199810.pdf
[11] 在宅医療ネットワーク|全国在宅療養支援医協会. http://www.zaitakuiryo.or.jp/zaitaku/files/kaisetsu/006.html
[12] Institute of Medicine & Committee on the Future of Primary Care. Primary Care: America’s Health in a New Era. (National Academies Press, Washington, D.C., DC, 1996)
[13] 医学用語解説集 プライマリケア. 日本救急医学会ホームページ https://www.jaam.jp/dictionary/dictionary/word/0226.html
[14] 葛西龍樹. プライマリ・ヘルス・ケアとプライマリ・ケア家庭医・総合診療医の視点. 国際保健医療 33, 79–92 (2018)
[15] ヘルスケアの定義. 公益財団法人日本ヘルスケア協会(JAHI) | 日本ヘルスケア協会(JAHI)は、超高齢社会における健康寿命延伸とヘルスケア産業育成の実現を目指す、ヘルスケアに関する有識者、産業、関係者が集まった民間唯一の団体です。 https://jahi.jp/about/healthcare-definition/ (2020)
[16] 医療の質と評価指標、そして. 東京財団政策研究所https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4687
[17] Health expenditure in relation to GDP. OECD https://www.oecd.org/en/publications/health-at-a-glance-2023_7a7afb35-en/full-report/health-expenditure-in-relation-to-gdp_e3566919.html
[18] 調査課保険局. 令和4(2022)年度 国民医療費の概況. https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-iryohi/22/dl/data.pdf
[19] 分子標的薬とは: 総論. 日腎会誌 54, 561–573 (2012)
[20] Inoue, T., Sasaki, K. & Yoshida, T. Current status of development of oligonucleotide therapeutics. Drug Delivery Syst. 34, 86–98 (2019)
[21] レギュラトリーリスクと制度的な公正性 -がん免疫治療薬「オプジーボ」をめぐる緊急薬価改定を事例に. 東京財団政策研究所 https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4270
[22] 日本の薬価制度:未来を考えた適温は?https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsnt/41/6/41_S161/_pdf/-char/ja
[23] 日本放送協会. 2025年8月の引き上げ見送りへ 高額療養費制度 石破首相が表明 これまでの経緯は?NHK首都圏「首都圏ナビ」 https://www.nhk.or.jp/shutoken/articles/101/017/83/ (2025)
[24] 慶應義塾大学病院で5つの新たな医療サービス(自由診療)を開始-「美容医療」「赤ちゃんの頭のかたち」「メディカルフィットネス・PRP療法」「運動麻痺治療」「がんゲノム検査」-:[慶應義塾]. https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2024/7/19/28-160660/
[25] 日本のドラッグロスとドラッグラグ:現状分析と再生への提案. 東京財団政策研究所 https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=4523
[26] Shetty, N. S. et al. AHA Life’s essential 8 and ideal cardiovascular health among young adults. Am J Prev Cardiol 13, 100452 (2023)
[27]藤井倫雅. 2030年の予防医療のインパクト. MRI 三菱総合研究所 https://www.mri.co.jp/knowledge/mreview/202110.html
[28] 二木立. 新予防給付の行方-長期的な健康増進効果と費用抑制効果は未証明. 社会福祉研究 95, 20–28 (2006)
[29]水野篤. 生活習慣改善領域におけるナッジの具体例と有効性. e-ヘルスネット 情報提供 https://kennet.mhlw.go.jp/information/information/policy/n-003
[30]松永和紀. 「紅麹サプリ」の教訓を忘れてはいけない…安全で体に良いとは限らない「機能性表示食品」の実態 トクホ審査で安全性を疑われた成分が入っている. プレジデントオンライン https://president.jp/articles/-/81953 (2024)
[31] 経済産業省. 新しい健康社会の実現に資する 経済産業省における施策について. https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/kenko_iryo/pdf/005_05_00.pdf
[32] E-LIFEヘルスケアナビ. 国立研究開発法人日本医療研究開発機構 https://healthcare-service.amed.go.jp/