1 アベノミクスに見られる「リベラル性」
安倍総理は辞任表明直前に連続在任日数が2799日を超え、歴代最長政権になった。アベノミクスを評価するには、なぜここまで長期政権が続いたのかという分析から始める必要がある。
再登板した2012年12月、大胆な金融緩和と機動的な財政出動、民間活力を引き出す成長戦略の「3本の矢」によるアベノミクスは、わが国の経済・社会を取り巻く景色を大きく変えた。円安・株高が生じ、企業業績は回復、雇用の大幅な改善などで一定の成果を残したことは事実である。
しかしその後国民の実質賃金は停滞し、想定したトリクルダウン(富裕層が富めば低所得層を含めた広い層にも恩恵が及ぶという考え方)は生ぜず、中間層の高所得層と低所得層への2極分化、所得・資産格差も進んできた。異次元の金融緩和は財政ファイナンスになり、潜在成長率の停滞、持続的な経済成長への道筋は不透明で、デフレ脱却も先が見えない。
国と地方を合わせた長期債務(借金)の残高は、2度にわたる消費税率の引き上げにもかかわらず拡大し、財政健全化目標年次は先送りになり、さらに新型コロナ対策で大きく積み上がった財政赤字が経済に与えるリスクは増え続けている。
このようなことから、アベノミクス、とりわけ経済成長戦略に対しては、厳しい評価を下さざるを得ない。政治手法も強引で官僚に忖度を強いる手法は批判も多い。にもかかわらず、安倍総理が長期政権を続けられたのは、アベノミクス(経済政策)に見られる「リベラル性」にあると筆者は考えている。
ここでリベラルというのは、米国流の定義で、「国家による市場の介入を行うことにより個人の自由を守る」という考え方である。市場の資源分配機能を肯定したうえで、市場の失敗や行き過ぎた部分への国家の介入・国家の役割を肯定する。
具体的には、「政府の規模をある程度大きくして、社会保障の充実などにより安心・安全な国づくりをめざすこと」、さらには「税や社会保障を通じて格差問題への対応を強化すること」である。
米国では、基本的に「大きな政府」を標榜する⺠主党はリベラル、「小さな政府」を主張する共和党は保守と区分される(トランプ氏の出現でこの区分は当てはまらなくなってきているが)。さらにリバタリアン(自由至上主義)と称される、経済政策として小さな政府を志向する第3の勢力も存在する。
さて、アベノミクスのリベラル性を判断するため、「政府の規模」を表す国民負担率、つまり「税・社会保障負担の国⺠所得に対する割合」を見てみたい。
安倍政権発足時(2012年度)は39.7%であったが、2020年度(見通し)では44.6%と、5%ポイントほど上昇している。中規模の政府を標榜する英国の負担率(2017年、47.7%)とそれほど変わらない水準になったのである。
この間の内訳を見ると、税負担の増加が3.8ポイント、社会保険負担が1.1ポイント増となっており、高齢化に応じて税や社会保障負担を引き上げて社会保障を拡充してきたといえよう。
第二次安倍内閣では、2度にわたる延期を挟みながらも、消費税率を5%から10%に引上げ、その分を財政赤字削減にほとんど回すことなく、使途を社会保障高齢化3経費から、子ども・子育て、教育無償化など全世代型社会保障へと拡大して充足していった。幼児教育の無償化や(十分ではないにせよ)待機児童解消策は、若者や子育て世代からの支持を広げていった。
ちなみに小泉政権時を見ると、発足時の2001年度は36.7%、退任時の2006年度は37.2%と、5年間で政府の規模はほとんど拡大していない。これは新自由主義的な経済政策の運営が行われた結果といえよう。
もっとも、安倍政権の経済政策のリベラル性は、安倍総理が目指したものというより、少子化や高齢化の進展で、そのような政策をとらざるを得なかったこと、とりわけ負担増については、すでに決められていたという要因が大きい。
社会保障負担の大宗を占める社会保険料負担の増加は2004年の年金改革で決められたものだし、税負担の増加は、2012年の三党合意による消費増税の結果であり、安倍政権としては「やらされた政策」ともいえるが、リベラルな政策を遂行したことは間違いない。ちなみに総理退任表明記者会見では、本人の口から消費税引き上げについては一切の言及がなかった。
2 日本型雇用を変える「働き方改革」
もう一つ、第二次安倍政権の経済政策のリベラル性を裏付けるものとして「働き方改革」がある。
わが国の代名詞ともいえる長時間労働の是正や、正規・非正規労働者の格差の縮小・改善という政策は、「終身雇用」「年功序列型賃金」「企業別労働組合」を 三つの柱とする日本型雇用慣行を大きく変えるドラスティックな改革である。
既に多くの企業で年功賃金カーブの見直しが行われ、年功序列を前提とした「職能型」と言われる雇用システムを成果主義型の「職務型」にシフトする検討も進んでいる。「働き方改革」は、これまでの慣行を変えるリベラルな政策といえよう。
問題は、この改革ではじき出されるフリーランスなどのセーフティーネットの構築が同時に検討されていなかったことで、その点は後述する。
このように、アベノミクスの本質は、安倍総理個人の保守的なイデオロギーと異なり、現実の社会・経済変化にプラグマティックに対応していくという点で、リベラル性を帯びていた。この点が、若者や子育て世代から支持され、長期政権につながった大きな理由ではないか。
3 次期政権の課題
このようにアベノミクスを見てくると、次期政権に必要な経済政策は、そのリベラル性を引き継ぎつつ、これまで見過ごされてきた部分への対応を急ぐことによって、ポストコロナに向けて国民の安心・共感につながる「新たな国の形」を示すことといえよう。
デジタル時代に対応した経済政策の課題として、次の2点を指摘しておきたい。
第1は、デジタルの進む中、格差拡大を食い止めつつ、新たなセーフティーネットの構築を目指すことである。
デジタル化、AIやロボットの普及は、必ずや格差の拡大をもたらす。それへの対応は、社会保障と税制を組み合わせて所得再分配の強化をすることである。とりわけコロナ禍の中で、ギグ・ワーカー(インターネットを通じて仕事を請け負う人)やフリーランスなど働き方の変化に応じたセーフティーネットの構築を急ぐ必要がある。
それには、ITを活用したデジタルセーフティーネットともいうべき、新たな経済社会の変化に対応した政策ツールとして、欧米で導入され、コロナ対策としても大きな威力を発揮した勤労税額控除(給付付き税額控除)の導入が課題となる。
そのためのインフラとして、マイナンバー制度(マイナポータル)を活用したデジタル基盤の構築が急務だ。現在内閣官房(「マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループ」)で、年末までに新たな工程表を作成する作業が進んでおり筆者もメンバーであるが、対応を急ぐ必要がある。
第2は、財政問題への真摯な対応である。
新型コロナウイルス問題で、世界各国の財政赤字は飛躍的に拡大した。これを放置しておくと社会保障の持続性の問題(そこからくる国民の不安)や国債価格の急落などなどさらなる危機を招くおそれがある。
欧州連合(EU)では新たな財源を求めて税制の議論が始まっており、わが国でも議論を開始すべきだ。ここでは3つの政策を上げたい。
第一は、環境問題への対応として環境税の構築を目指すこと、第二は、全世界に広がる所得・資産格差の拡大への対応として、資産課税の見直しを行うこと、最後に、ITデジタル企業への超過課税の検討だ。経済協力開発機構(OECD)で議論が続いているが合意がむつかしければ、わが国だけで導入できるデジタル・サービス税(DST)の導入を検討すべきだ。一方で、各国政府と協力をしつつ、グローバルに検討を進めていくことも必要だ。
これらは、ニューヨーク州クオモ知事が唱え、米国民主党のスローガンとなった「Build back better(再建するなら、前よりよいものを)」という考え方にそったもので、コロナ禍で浮かび上がった経済社会の課題に対処し、人に優しい生活や社会の実現に資するような税制といえよう。