2022年7月22日に開催した東京財団政策研究所「政策提言シンポジウム-政策研究と実践のイノベーションに向けて-」では、当財団の再出発にあたり、新たな理念と研究内容をご紹介し、意見交換をさせていただくことを目的として、市民生活の土台を成す、経済・財政、環境・資源・エネルギー、健康・医療、科学技術とイノベーション、デジタル化と社会構造転換などのテーマによる発表が行われました。
本レポートでは沖大幹研究主幹による講演を紹介します。
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・はじめに ・グローバル・リスクの相対的な順位の入れ替え ・環境(気候変動)災害の激化 ・割引率の低下 ・公的セクターの相対的な弱体化 ・環境保全や社会正義がソフトローに ・内外の意識 ・温暖化懐疑論 ・自然災害報告数の変化 ・日本における洪水による犠牲者ならびに経済的損失 ・風水害に対する損害保険金の支払い ・おわりに |
はじめに
なぜ今、水や気候変動が問題でその対策としてSDGs(持続可能な開発目標)の達成へ向けた取り組みに政府など公的機関ばかりではなく民間企業や市民もかかわる必要があり、ESG(環境、社会、ガバナンス)の観点で投資家が企業に情報開示を迫り、地球環境、特に再生可能エネルギー投資など温室効果ガス排出削減、気候変動対策に特化した債権や借入であるグリーンファイナンスがもてはやされるのだろうか。その背景には5つの要因がある。
グローバル・リスクの相対的な順位の入れ替え
まず、その大きな理由としてグローバル・リスクの相対的な順位の入れ替えが挙げられる。冷戦下で東西に分かれて対立していた世界が融和した後に、各国が小異を捨てて大同につき、国際社会が一丸となって取り組むべき脅威として、地球環境問題がクローズアップされた経緯がある(『地球環境問題とは何か』米本昌平、岩波新書、1994年)。それはロシアのウクライナ侵攻やCOVID-19によるパンデミック対応に全世界が協調して取り組む必要が生じた昨今でも変わっていない。
環境(気候変動)災害の激化
変わっていない理由は、実際に環境災害、特に気候変動にかかわっていると思われる災害が世界中で激化していると実感されているからだろう。日本では気候変動の悪影響というと台風や線状降水帯に伴う豪雨によってもたらされる風水害が取りざたされる場合が多い。欧米でも風水害の激化は報告されているが、それに加えて特にアメリカ西部や欧州では熱波や旱魃(かんばつ)に伴う人命の危機や水不足によって日常生活のみならず経済活動にも支障が出る事態が引き起こされている。
2022年の欧州熱波では、ポルトガルで1000人以上の人命が奪われるばかりではなく、ライン川の水位低下に伴う航行困難による物流の大動脈の停止や、冷却水を河川水に頼らざるを得ない内陸の石炭火力発電所や原子力発電所で河川の流量低下や水温上昇による発電量への制約などが懸念されている。また、カリフォルニアを筆頭にアメリカ西部でも数年来の旱魃により生活用水の利用制限で日常生活に影響が生じているばかりではなく、深刻な山火事も発生して住民が避難を余儀なくされたり住宅が焼失の危機に曝されたりしている。
水不足による農業生産への影響も懸念され、ロシアのウクライナ侵攻に伴う食糧危機をさらに深刻化させる可能性も指摘されており、フランスの飼料用トウモロコシの生産高は昨年比18.5%減産の見込みとなっている。サハラ以南のアフリカや中近東、南アジアの脆弱な社会では、旱魃による食料不足は社会不安から大量の移民をもたらす可能性もあり、そうした移民を受け入れる側の国においては2015年の欧州移民危機のように新たな社会の不安定化がもたらされるおそれもある。
これに対し、従来の世界的な経済システム、社会的枠組みの下でビジネスが首尾よく軌道にのっている企業や組織であればあるほど、現状から大きく変わって欲しくないと思うのは当たり前だろう。特に、各国の年金基金や保険会社、あるいは個人の大口投資家は世界中に資産を持ち、地球上のどこで環境が激変して自然災害がもたらされても所有する資産が棄損する危険性があるため、できるだけ現状を維持しようという動機づけが働き、気候変動が人為的影響を受けているのであれば社会全体での温室効果ガスの排出削減によって気候が変わらないようにしようとするのは当然である。
割引率の低下
一方で、割引率の低下によって、ビジネスを長期的な視点で経営せざるを得なくなり、環境変化や社会変化のリスクをできるだけ抑える必要が出てきた影響も大きい。将来の貨幣価値を現在の価値に換算する際に用いられる経済学的な割引率は金利や経済成長率に連動して変化すると考えてよい。一時は10%を超える年もあった中国を筆頭に新興国への投資で高い収益率が期待できた状況も落ち着き、パンデミックの影響もあって世界全体の経済成長が3%といった風に下がっている。すると割引率も低下し、低い内部収益率での事業を展開することになり、結果として短期ではなく長期でビジネス投資を回収することになって、以前であれば必ずしもリスクとして考慮する必要がなかった社会や環境の劇的な変化に深い関心を寄せる必要が生じている。
公的セクターの相対的な弱体化
政府や地方自治体など公的セクターが社会を支配する、という従来の構造が日本でも世界でも変わりつつある、あるいはすでに変わってしまっているという視点も大事だろう。昔に比べると、経済的にも組織的にも人材的にも公的セクターの影響力は相対的に弱体化し、以前であれば公的セクターに任せておけばよかった社会や環境の保全や回復の取り組みに対して、生産性も機動力も高い民間セクターの力を借りざるを得ない社会になっているのである。例えば、四千兆円近い日本の資産の内訳は、政府の資産が七百兆円に対し、個人資産が約二千兆円、民間が約千二百兆円で圧倒的に政府外の資産の方が多くなっている。
また、東大から霞が関の官僚になる卒業生は長期的に凋落傾向にある。それは、単に政府官僚の待遇や働き方の問題だけではなく、以前であれば役所で偉くならなければ社会を動かすのは難しかったところ、民間企業の実力や社会的影響力が増大した結果、民間でも然るべき組織への就職や起業によっていくらでも社会を中心で担い、改革や貢献ができるようになり、大志を抱く人物の選択肢がいわゆるお上への宮仕えだけではなくなっているのである。
民間企業側も、以前であればお付き合い程度の社会貢献活動をして、あとは税金を払うので公的セクターで社会正義や環境保全はやって欲しい、という態度であったところ、最近では税金を支払って公的セクターに使途を委ねるよりも、その分を自分たちで良かれと思う社会正義や環境保全に投資をして持続可能な社会の構築に資する方が効率が良い面もある上に、単なる広報的役割を超えて結局は自社ビジネスの持続可能性の構築にも繋がると気づき、実際に活動を始めているのである。
環境保全や社会正義がソフトローに
功利的に考えてもSDGs達成やESG対応へのリソース配分が得だという状況のみならず、社会正義や環境保全への適切な取り組みがいわゆる「ソフトロー」化していて、ビジネス上の大きな障害となる危険性が大きい点も見逃せない。正式な規則や法律として、あるいは国際的な条約として決まっているわけではなくとも、そうした取り組みに真摯に向き合っていないと、例えばEUの市場からは締め出される、という状況になりつつある。児童労働や強制労働によるモノやサービス、紛争資源を原材料とする製品、温室効果ガス排出や生態系破壊などの外部費用を伴って提供されるモノやサービスはそもそも市場に入れない、という時代なのである。価格だけでは競争できないヨーロッパ、あるいはアメリカの特に製造業などが、新興国や途上国との差別化を図るために、実質的な非関税障壁とする意図を持ってやっているという見方もあるが、それが本当だとしたところで社会正義や環境保全の規範にそぐわないビジネスは、縮小する国内市場で衰退していくしかなくなる。
内外の意識差
規模が大きい世界的なグローバル企業であればあるほど、SDGsの達成への貢献や気候変動対策、ESG投資への情報開示に対応した取り組みに積極的であるのも、こうした5つの背景を考えるとよく理解できる。日本でもやはり海外にも積極的に事業展開しているような企業ほどこうしたグローバルな潮流をよく理解し、経営層も敏感に反応してトップダウンの目標設定やガバナンス改革を通じて世界で孤立しないように奮闘しているが、目先の日常業務に振り回されている中間層への意識の浸透が課題である。むしろ、自らの立身出世に加えてビジネスを通じた社会貢献への関心も高い20代の意識の方が高いことが知られ、そういう意味では組織的に社会正義や環境保全に取り組む企業の方が優秀な若年層の雇用にも有利である。
温暖化懐疑論
地球は温暖化していないとか、温暖化の原因は二酸化炭素ではない、といったいわゆる温暖化懐疑論を唱える方も最近は減ってきた。それでも、気候変動に関する政府間パネルの報告書の表現にケチをつけてあたかも全体の信頼性に疑問があるかのように論じたり、温暖化対策は百害あって一利なしと断じたりする方々もいるが、二酸化炭素排出削減はできれば避けたい、という根強いファンの需要をあてにしたビジネスなのであろう。
自然災害報告数の変化
では、気候変動に伴って自然災害は実際に増えているのであろうか。
水鳥真美・国連事務総長特別代表がヘッドを務める国連防災機関(UNDRR)による「災害の人的損失」と題する報告書によると、2000年から2019年までの20年間に7,348件の災害が記録され、123万人の命が奪われ、42億人(多くは複数回被災)が影響を受け、約2兆9,700億米ドルの経済損失が発生した。これらは、4,212件の災害が発生し、約119万人の命が奪われ、32億5,000万人が影響を受け、約1兆6,300億米ドルの経済損失を被ったとされる1980年から1999年までの20年間に比べ、いずれの指標でも増大している。
地震や火山など、数十年で大きく発生確率が変わるとは考えにくいハザードに起因する災害件数はどちらも約1.2倍の増加であった。これは、冷戦下で世界は東西に分断され、インターネットを通じた情報共有もなかった頃とは異なり、近年では地球の裏の遠隔地域での災害ニュースも即座に知られるようになって確認される災害件数が増えたためだとも考えられる。
これに対し、20世紀末から今世紀初めにかけて全体として災害件数が約1.7倍に増えているところ、洪水は約2.3倍、極端な高温は約3.3倍の発生件数となっており、気候変動の影響が顕在化しつつある様子が窺われる。幸いなことに、世界の総人口が1.3倍以上に増加したにも関わらず死者数は微増とされ、影響人数の増大も1.2倍程度であるが、インフレの影響も大きいとはいえ経済損失は1.8倍以上に増大している。
日本における洪水による犠牲者ならびに経済的損失
明治以来、1875年から2019年までの日本における風水害による死者・行方不明者と被害額の推移からは、第二次世界大戦直後、毎年の様に日本列島を襲った台風による被害が非常に大きかったのがわかる。『空白の天気図』(柳田邦男、文春文庫、2011年)で描かれた、終戦直後に広島を襲った枕崎台風(1945年)や利根川に大洪水をもたらしたカスリーン台風(1947年)、四国・近畿に大きな被害をもたらしたジェーン台風(1950年)など、当時は台風が一つ来ると千人単位で亡くなっていた。一番ひどかったのは、1959年で、伊勢湾台風だけで5千人、他の被害も加えると年間6千人近くの人命が1年間に失われた。その後、長期的には死者数は漸減し、年間200人を超える犠牲者が出たのは21世紀に入ってからは今のところ福井豪雨、新潟・福島豪雨があった2004年と、岡山県真備町の浸水や広島県の土砂災害があった2018年だけである。
これに対し、経済被害は長期的に減っておらず、21世紀に入ってからは、2004年に加えて、東日本台風が来襲した2019年の被害が特に多くなっている。
風水害に対する損害保険金の支払い
日本の損保協会が統計を取っている風水害に対する損害保険金支払いの1位は関西国際空港が浸水した2018年の台風21号で、この台風の被害に対してだけでも全部で1兆円の保険金の支払いがなされている。2位が2019年の東日本台風で、このときが6千億円弱、3位が1991年で5680億円。これは20世紀であったが、トップ10のほとんどが21世紀に入ってからで、10位でも1600億円近くの保険金が支払われている。
日本で自然災害というと、地震が真っ先に連想されるとおり、東日本大震災(2011年)の際には約1兆3千億円の損害保険金が支払われているが、2位は熊本地震(2016年)の約4千億円、3位は大阪北部地震(2018年)の約1200億円で、それ以外は全て1千億円未満である。そのため、損保業界にとっては、地震よりも風水害のリスクをいかに適切に把握し、どのぐらいの料率にして保険料を設定するかが、現在では大きな関心事となっている。
このように、実際に風水害は世界でも日本でも増えており、しかもそれは人の貴い命が失われるから、というよりは経済的な問題になりつつある。
おわりに
物理学的には二酸化炭素などの温室効果ガスの排出が気温上昇を招き、気温が上昇すると極端な豪雨の頻度、あるいは強度が増すメカニズムには疑問の余地がない。こうした気候変動は水循環の変化そのものであり、水は気候変動の悪影響を社会にもたらす働きをしている。統計的にも風水害や熱波の頻度は増大しており、世界的には渇水や水不足がもたらす深刻な社会への悪影響も懸念されている。
長期的視点で経営せざるを得なくなっているため、功利的、利己的に考えても、気候変動対策の推進、環境保全や社会正義など持続可能な開発の実現というのは社会的影響力が増している企業にとって合理的な行動選好であり、積極的に取り組んでくれないと困る長期投資家からのプレッシャーとしてESG投資やグリーンファイナンス、それらの道標としてのSDGsがあるのだ、という点を本稿では詳らかにしようとした。
気候変動対策や持続可能な社会構築のためにどんなビジョンを持ち、どんな目標を掲げ、どういう問題に留意し、具体的にどういうアクションを起こせば良いかについては、東京財団政策研究所・未来の水ビジョン(日本の水をめぐる実態の現状分析と未来ビジョンの形成ならびに水を通じた持続可能な地域の構築に向けた政策提言に関する研究)プログラムでさらに研究を深め、別の機会にご報告したい。
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