R-2021-044-2
2021年10月から東京財団政策研究所で「フューチャー・デザイン:世代を超えた持続可能性に関する意思決定手法の構築」という新たな研究プログラムが開始しました(研究代表者:小林慶一郎/研究分担者:千葉安佐子・加藤創太・西條辰義)。 |
前回は、主に20世紀から今世紀にかけて私たち(人類)が何をしてきたのかを概観してきました。私たちの社会の三つの基本的な柱は、科学、市場、民主制ですが、どうも科学のあり方、市場、民主制の仕組みそのものが将来の世代に負担をかけるという「将来失敗」を生み出しているようです。今回は、まず、なぜ将来失敗が起こるようになったのかに焦点を当てます。将来失敗の及ぶ時空の範囲が狭いうちは何とかなったのかもしれませんが、産業革命以降、とりわけ20世紀中葉から今世紀にかけて、ある特定の地域のみならず全球的に、百年単位の先、さらには核を含む問題では万年単位の先まで将来世代に負担をかけてしまうことを私たちは理解するようになりました。ただ、わかっているのになかなか対処できないのです。長い年月、たぶん万年単位で進化したヒトの根幹的な性質は、人類が時空をこえて将来世代に負担をかけるようになったからといって、簡単に変わるものではありません。次に、これらを踏まえた上で、社会の仕組みをどのように変革すれば良いのかを目指すフューチャー・デザインの枠組みを紹介しましょう。
ここ一世紀あまり、なぜ人類は将来世代に負担をかけてしまう「将来失敗」を起こし続けてきたのでしょうか。心理学を含むさまざまな分野の研究者たちが数多くのヒトの性質を吟味し、それらの関係を探っていますが、ここでは、神経科学者のSapolskyによるヒトの三つの特性を見ましょう[1]。一つは相対性で、私たちの五感は絶対量ではなく、その変化に反応します。例えば、急に暗くなったり、大きな音がしたりすると反応するのです。これは自己の生存可能性を高めるための特性で、これを変化のないところ(自身の損得を山の高さにたとえ、変化の多い勾配の急なところにとどまらずに、勾配がほぼなくなっている山頂)を求めることとするなら、相対性は短期的な最適性の原理です。二つ目は衝動性ないしは近視性で、ヒトは、目の前の美味しいものを我慢して食べずにいることは難しいのです。三つ目として、ヒトは複数の人々が連携を取り、他の動物をも制覇する社会性も併せ持ちます。これらに加え、同じく神経科学者のSharotによる楽観性を加えましょう[2]。どうも私たちは、過去の嫌なことは忘れ、今の快楽を求め、将来を楽観的に考えるように進化した可能性があるのです。実は、これらの性質のもとで生まれたのが科学、市場、民主制ではなかったのでしょうか。
次に、今の社会の基礎を作った産業革命を概観しましょう。私たちは新型コロナで社会そのものが大きく変わろうとしていることを経験中ですが、14世紀半ばの黒死病までさかのぼって考えてみましょう。黒死病で減った人口は、当時の世界の人口4.5億人のうち約1億人、特にイギリスでは、1348年からの3年間でほぼ半減し、人口減少は百年にわたって続いたようです。人口減は労働者の価値が増加することにつながり、とりわけイギリスでは賃金が高騰しました[3]。人口減は穀物への需要の減少につながり、そのため、農業従事者の一部は都市に向かうことになり、都市化が進展するのです。都市域における人口増は都市のエネルギーの供給源である木材の価格の上昇につながります。そこでエネルギー源として求められたのがたまたま手近で豊富かつ安価であった石炭でした。そして、炭鉱でたまる水を汲み上げるために、高価な労働者に代わって揚水ポンプを動かしたのが蒸気機関です。まさに有機エネルギーから化石エネルギーへの転換が起こり、「産業革命」を経て様々なイノベーションを経験してきたのです。
これらのイノベーションは、ヒトの相対性、近視性、楽観性を強化するというフィードバックを引き起こします。これがさらに少しでも便利なもの、楽になるものへのイノベーションへの欲求につながるのです。加えて市場や民主制は、さらなる効率化や、グローバル化を促すに違いありません。このフィードバックの連鎖が、ますますヒトの相対性、近視性、楽観性を強化し、さまざまな「将来失敗」と共に際限のない成長を目指す社会を形作ってきたのではないのでしょうか。
そうだとするならば、社会制度そのものの変革が21世紀前半の大きな課題になるはずです[4]。ところが、制度改革のエンジンとなるべき社会科学の様々な分野は、個別のパラダイムに固執し、持続可能な未来に向けてどのように制度を変革すべきかという答えを見いだしていません。たとえば、政治学は権力、心理学は感情、社会学は規範、経済学はインセンティブという刀で、社会を3次元物体であるとするなら、それを切り、その切り口を分析し、交わるところがあまりないことを経験しています。そうであるのにもかかわらず、社会科学の各分野に加えて、人文科学、自然科学などの個別分野の知見を連携・総合し、ヒトの行動を把握し、それに基づき社会の仕組みを考案し、諸問題を解決するというのが現在の主流です[5]。
フューチャー・デザイン(Future Design, FD)はこれとは<真逆の立場>をとります。従来の(社会)科学は、人々の考え方は簡単には変わらないことを前提とし、すでにある社会の仕組みの中で何事が起こるのかに関心を寄せてきました(図1の左上)。一方、人々の考え方は与件とするものの、社会の仕組みをデザインする、つまりそれを変数とすることで、効率性や公正性を達成する仕組みのデザインを考えたのが20世紀後半から今に至るメカニズム・デザインの分野です(図1の右上)。他方、社会の仕組みそのものは与件とするものの、ちょっとした工夫で、人々の考え方というよりもむしろ行動変容を起こすというのが行動経済学の立ち位置です。社会変革をキーワードとするFuture Earth, IPCC (Inter-governmental Panel on Climate Change), SDGs (Sustainable Development Goals)も、社会の仕組みそのものをターゲットとするというよりもむしろそれを与件として、人々の行動変容を目指しているのではないのでしょうか(図1の左下)。
ところが、ヒトの考え方(性質)は、社会の制度とそのフィードバックで変容するはずです。つまり、社会の仕組みとしての民主制や市場そのものが、私たちの考え方を形作っているのです。社会の制度ではありませんが、新型コロナで私たちの行動や考え方そのものが大きく変容していることを私たちはまさに経験している最中です。つまり、私たちの行動や考え方は変わるのです。そのため、将来失敗を回避し、持続可能な社会の構築のため、私たちの考え方そのものを変革する社会の仕組みのデザインが必要となってきます。そこで、デザインされた仕組みが人々の考え方をどのように変えるのかを検証するのに様々なサイエンスを用いるという手順をとるのです(図1の右下)。これがFDの出発点です。
食料が十分でないときに、親が自らの食べ物を減らし、その分を子供に与えることで親はしあわせを感じることにうなずく人は多いでしょう。これを血縁関係のない将来世代まで延ばすことは可能でしょうか。そこで、「たとえ現在の利得が減るとしても、これが将来世代を豊かにするのなら、この意思決定・行動、さらにはそのように考えることそのものがヒトをよりしあわせにするという性質」を<将来可能性(futurability)>と定義し、将来可能性がどこでどのように賦活するのかと共に、それを賦活する社会の仕組みのデザインを目指すのがFDです[6]。つまり、これまでの市場や民主制のため発現できなかった将来可能性を発現できる仕組みをデザインし、市場や民主制の担い手の認識の転換を通して市場や民主制を再構築するのがFDです。
最近のわかりやすい例を示しましょう。気候変動枠組み条約のCOP26で、メタン排出の削減が多くの国々で合意されたようです。今の社会の仕組みの元で、牛のえさの改良、げっぷをあまりしない牛の遺伝子を解析し、さらにほとんどげっぷをしない牛の開発などが話題に上っています。一方で、畜産の窒素利用効率(肥料として100の窒素投入で肉の中に残る窒素の量)は6程度で、非常に悪いのです[7]。食用肉として残らなかった反応性窒素は環境に出てさまざまな悪さをします。こちらも家畜の生産の窒素利用効率を上げればよいのかもしれません。ただ、これらの背後にあるのが人々は依然として従来通りに牛肉を食べるという暗黙の想定です。FDによる仕組みを用いると、人々は牛肉を食べることの意味そのものを問うようになるかもしれません。牛肉を食べることの善し悪しをここで議論するつもりはありませんが、FDが目指すのは人々の考え方そのものの変革です。たとえ、私たちが経済学でいうところの合理的な主体であるとしても、将来可能性を一つの信念として持ち、それをはぐくむ社会を構築できるとするなら、持続可能な社会を維持できるというマクロモデルを小林・千葉[8]が示しています。
それでは、「科学」の成果をどう考えればよいのでしょうか。第1回で紹介したハーバー、ボッシュ、ボーローグたちは、ノーベル賞の受賞者ですが、彼らが彼らの成果の将来世代に対する影響を考えていたわけではありません。科学の成果を市場に任せてしまうことで、将来失敗につながる可能性があります。たとえば、安価で丈夫なハンドル付のプラスティックバッグは、スウェーデンのエンジニアであるThulinの発明のようですが、彼は1962年に特許を得ています。プラスティックバッグは、使用後はゴミとなり、川や海に流れてしまうことは容易に想像できたはずです。しかも、それは簡単には分解しません。当時、目先の便利さのみではなく、将来失敗を回避する社会の仕組みが市場や民主制に組み込まれていたら、60年後の「今」は変わっていたかもしれません。このような将来可能性を賦活する社会の仕組みのデザインを目指すのです。
FD研究のアイデアの源泉は「イロコイ」です[9, 10]。アメリカ先住民は、5ないし6部族による連邦を組み、この連邦国家の総称をイロコイと呼んだようです。そして彼らは、重要な意思決定をする際に、自己を7世代後に置き換えて「今」を考えました。アメリカ建国者たちであるジョージ・ワシントンやベンジャミン・フランクリンは、イロコイから連邦制を学び、それを13の植民地の結束に用いました。合衆国憲法200周年の際には、上院と下院でイロコイの貢献に感謝するという共同決議文を発しています。ただし、アメリカの憲法に連邦制は残ったものの、「7世代」の考え方は残らなかったようです。
「フューチャー・デザイン3:研究の最前線へ」に続く
参考文献
[1] Sapolsky, R.M. (2012). Super humanity. Sci. Am. 307, 40–43.
[2] Sharot, T. (2011). The optimism bias. Curr. Biol. 21, R941–R945.
[3] Allen, R.C. The British Industrial Revolution in Global Perspective Cambridge University Press: Cambridge, UK, 2009.
[4] Saijo, T. (2020). Future Design: Bequeathing Sustainable Natural Environments and Sustainable Societies to Future Generations, Sustainability 12(16), 6467.
[5] Abson, David J., et al. (2017). Leverage points for sustainability transformation. Ambio 46.1, 30-39.
[6] Saijo, T. Future Design. In Future of Economic Design: The Continuing Development of a Field as Envisioned by Its Researchers Laslier, M., Sanver, Z., Eds. Springer: Berlin/Heidelberg, Germany, 2019.
[7] Sutton, Mark A., et al. (2013). Our nutrient world. The challenge to produce more food & energy with less pollution. Centre for Ecology & Hydrology.
[8] Kobayashi, K., and Chiba, A. (2020). Intergenerational bubbles of beliefs for sustainability. Sustainability 12(24), 10652.
[9] 西條辰義「フューチャー・デザイン事始め」『ジャパン・スポットライト』2019 年 3/4 月号(https://www.jef.or.jp/Tatsuyoshi_Saijo_2019_3-4.pdf)
[10] Sakuma, O. and Saijo, T. Future Design, Discussions, No. 51, Society Jan. 9, 2019 (https://www.japanpolicyforum.jp/society/pt201901092105228633.html).